仏陀の教えの解釈の発展

仏陀(ブッダ)の教え
The Teachings of Buddha
この記事は約4分で読めます。

1. 説一切有部(Sarvāstivāda)とダルマの実体論に関する示唆

説一切有部(有部)の名前は資料には明示されていませんが、この学派の思想と関連する記述として、過去・現在・未来の時間に関する議論と、「ダルマ(法)」の実体論に関する記述が見られます。

  • 刹那滅論とダルマの実体:資料には、経量部の「刹那滅論」について言及し、過去・現在・未来を通じて同一性を保って存在し続けるものは存在しないという考えが示されています。
    しかし、その後の記述では、「同じアビダルマでも、説一切有部は刹那滅論に加え、更に過去に去ったダルマや、まだ生じていない未来のダルマにも共通する恒常的な実体を持っていると主張します」とあります。
    • この記述は、説一切有部が、現象を構成する最小要素である「法(ダルマ)」について、過去・現在・未来の三世にわたって実体的に存在していると解釈していたことを示しています。
      これは、仏陀が説いた「無常」や「縁起」の教えを、ダルマという微細な要素のレベルでどのように論理的に説明するかを試みた、部派仏教の教理的な発展の一例です。

2. ナーガールジュナ(龍樹)と「空(くう)」の発展

ナーガールジュナは、紀元後2〜3世紀頃のインドの仏教学者であり、大乗仏教の「空」の思想を確立した人物として知られています。

  • 空の概念:資料には、大乗仏教の中心的思想の一つとして空(くう)が挙げられています。
    空は、「この世のあらゆる物事は『空』という形で存在しているのであって、その本質とか実体はもともとないということ」と定義されています。
    • この空の思想は、「ある(有)でもなく、ない(無)でもなく、空(現象しては過ぎ去るもの)としてその深い意味をとらえた」ものと説明され、色即是空、空即是色という表現で示されています。
  • 時間の実体否定:ナーガールジュナの思想と関連が深いと思われる議論として、「時間」を普遍的な存在者として否定する見解が示されています。
    • 我々が外部に存在していると思っている過去、現在、未来は、普遍的な存在の仕方をしておらず、「ナーガールジュナは時は存在者ではないと結論します」と明記されています。
      これは、ナーガールジュナが、縁起の理(すべては原因と条件によって生じる)を徹底的に追求することで、万物に固有の実体(自性)がないとする「空」の思想を、時間の概念にまで適用した発展的な解釈です。
  • 影像・真如としての空:ナーガールジュナ作とされる「大乗についての二十詩句篇」の引用として、「一切のものは、それ自体についていえば、影像に等しいと考えられている
    それらは清浄であり、本性の静まったものであり、不二であり、平等であり、あるがままの真如である」と記されており、空が単なる虚無ではなく、真実のありのままの姿(真如)を指す哲学的概念として深化していることが示されています。

3. 大乗仏教の興隆と仏陀の教えの解釈の変遷

仏陀滅後、教えの解釈が分かれて、大乗仏教が興隆した経緯を説明します。

  • 対機説法の原則と発展:仏陀の教えは、「その時その場所その人(人々)の為になされました」(対機説法、応病与薬)。
    しかし、仏陀滅後、弟子たちが集まって教説を条文化(結集)しましたが、「人々の機根も多岐にわたり、時代にそぐわない非現実的なものは、仏陀が本来導びこうとした真理に反しているのではないか」と主張する人々が現れました。
  • 方便と神格化:このため、インド最高の哲学者、科学者、宗教家などが集まり、原始経典に考察を加え、「いつの時代にも即応する多くの大乗経典を長い年月をかけて作り上げていきました」
    • 大乗仏典では、仏陀の悟られた真理(宇宙生命)を衆生に悟らせるために、比喩や方便として、多くの仏や菩薩が神格化して表現されるようになりました。
    • 観音菩薩はその一例で、歴史上の仏陀の弟子には存在しないが、経典に登場し、仏陀の「悟られた真理の智慧の部分」を客体として表現されたものと解釈されています。
  • 涅槃の概念の深化:初期仏教では、肉体が捨てられた後の完全な涅槃を「無余涅槃」とし、肉体を保った状態での悟りを「有余涅槃」としていましたが、大乗の教理展開の中で、人間が肉体を保つ限り完全な悟りは得られないという問いが深まりました。
    この展開を受けて、親鸞は、浄土の証(悟り)を当来の滅度(死後)と今生における正定聚(現世での信心の確立)という、現当二世にわたる証として語ったとされています。

このように、説一切有部やナーガールジュナなどの後代の学派は、仏陀が説いた根源的な真理(縁起、無常、無我)を、論理的かつ哲学的に深化・体系化することに貢献しました。
部派仏教はダルマの実体性を巡る議論を展開し、大乗仏教は「空」の思想を通じて実体的な存在(我や法)の徹底的な否定と、衆生救済(慈悲・方便)という実践的な目標を統合しつつ、教えを解釈し発展させていったと言えます。