阿含(あごん)とは

仏陀の教え ことば
The Teachings of Buddha
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「阿含」という言葉、皆さんは耳にしたことがあるでしょうか。
仏教に少しでも関心のある方なら、きっとその名を知っていることと思います。
この「阿含」とは、サンスクリット語やパーリ語の「アーガマ(āgama)」を音写したもので、「伝承された教説」や「集成」といった意味を持っています。
仏陀(ブッダ)が直接説かれた教え、その最も古い形を私たちに伝えてくれる貴重な経典群を指すのですね。
まるで時を超えて、仏陀(ブッダ)の声が現代に響いてくるかのような、そんな存在です。

今から約2500年前、仏陀(ブッダ)は生きていた時代に、ご自身の教えを文字として残すことはありませんでした。
当時のインドでは、教えは師から弟子へと口頭で伝えられるのが一般的だったからです。
しかし、仏陀(ブッダ)が涅槃に入られた後、弟子たちはその教えが散逸してしまうことを深く憂慮しました。
そこで、マハーカッサパやアーナンダといった高弟たちが中心となり、「結集(けつじゅう)」と呼ばれる集会を何度も開いて、仏陀(ブッダ)の教えを一つにまとめ上げたのです。
この時、教えは「経蔵(スッタ・ピタカ)」として、また戒律は「律蔵(ヴィナヤ・ピタカ)」として整理されていきました。

こうして口伝えで守られてきた仏陀(ブッダ)の教えは、長い時を経て、ようやく文字として記録されることになります。
紀元前1世紀頃には、スリランカでパーリ語を用いて文字化され、いわゆる「パーリ語仏典」として現代に伝えられています。
これらは「ニカーヤ」(部)と呼ばれ、上座部仏教の根本聖典として非常に大切にされています。
一方、中国に伝わった同じ系統の経典は、漢訳されて「阿含経」と呼ばれました。
パーリ語の「五部(ごぶ)」と漢訳の「四阿含(しあごん)」は、伝承された部派や原語の違いはあるものの、多くの内容が一致しており、仏教の最も古い姿を知るための双璧と言えるでしょう。

特に、漢訳された「四阿含」は、現代の私たちにとっても学びやすい形で残されています。
『長阿含経』は仏陀(ブッダ)の生涯や長い教えを網羅し、まるで壮大な物語を読むようです。
『中阿含経』は中くらいの長さの説法が収められ、より深い教理を探求するのに適しています。
『雑阿含経』は短編の教えがテーマ別に集められており、五蘊、十二因縁、四聖諦といった仏教の根本原理が分かりやすく説かれています。
そして『増一阿含経』は、一法から十一法まで、教えを数字ごとに整理したもので、仏陀(ブッダ)の慈悲深い教えが多岐にわたって示されています。
これらを紐解くことで、私たちは仏陀(ブッダ)の智慧と慈悲の心に触れることができるのです。

さて、先ほど触れたパーリ語仏典の「五部」も、それぞれの内容に特徴があります。
漢訳の『長阿含経』に対応する「長部(ディーガ・ニカーヤ)」、そして『中阿含経』に対応する「中部(マッジマ・ニカーヤ)」は、仏陀(ブッダ)の様々な説法を集めたものです。
『雑阿含経』は「相応部(サンユッタ・ニカーヤ)」に、『増一阿含経』は「増支部(アングッタラ・ニカーヤ)」にそれぞれ対応し、やはり短い教えがテーマ別や数ごとにまとめられています。
さらにパーリ語仏典には、これら四部には含まれない様々な詩や物語を集めた「小部(クッダカ・ニカーヤ)」があります。
これら「五部」を通じて、私たちは仏陀(ブッダ)の時代のインド社会の様子や、弟子たちの修行の様子までをも垣間見ることができるのです。

しかし、日本の仏教の歴史では、「阿含経」は長くその重要性が見過ごされてきました。
大乗仏教が主流となった中国や日本では、自分一人の悟りを目指す「小乗仏教」の経典として、大乗が目指す「一切衆生の救済」とは異なるものと見なされ、教えの初期段階に位置づけられることが多かったのです。
ところが、19世紀以降、ヨーロッパの学者たちによるパーリ語仏典の研究が進むにつれて、「阿含経」の真価が再び注目されるようになり、仏教学者たちはこれを仏陀(ブッダ)の原始的な教えを最も色濃く伝える貴重な資料として再評価しました。
もちろん、現存する経典が仏陀(ブッダ)の言葉を一字一句そのまま伝えているわけではないという点は指摘されていますが、仏教の原点に触れるための最も確かな道しるべであることは間違いありません。

このような「阿含経」を唯一の依経(よりどころ)とし、仏陀(ブッダ)の原始仏教への回帰を標榜して立宗されたのが、桐山靖雄氏が開いた「阿含宗」です。
1978年に設立された彼らは、大乗経典には因縁解脱の具体的な方法がないとし、『阿含経』こそが真の道を示すと主張します。
仏舎利を本尊とし、個人の因縁解脱と世界平和を目指す教義を掲げ、毎年2月には京都市山科区で「炎の祭典・阿含の星まつり」という大規模な柴燈護摩供を行います。
これは数十万人が訪れる壮大な行事ですが、護摩や占いを重視し、現世利益を強調する点には、原始仏教の教えとの齟齬を指摘する声もあります。

ちなみに、「原始仏教」や「根本仏教」という言葉は、仏陀(ブッダ)が生きていた時代から、部派仏教に分裂する以前の初期の仏教を指すもので、ほぼ同義として使われます。
これらの言葉には、仏陀(ブッダ)の純粋な教え、その原点に立ち返ろうとする思いが込められていると言えるでしょう。

現代社会は情報過多で心の落ち着きを失いがちな時代です。
そんな中で、「阿含経」に説かれる仏陀(ブッダ)の教え、例えば「諸行無常」「諸法無我」といった根本原理は、私たちに深い洞察と生きる指針を与えてくれます。
変化を受け入れ、執着を手放し、自らの内面を見つめ直すこと。
それは、2500年前の教えが現代を生きる私たちにもたらす、普遍的な智慧の光なのかもしれません。