おはようございます。もしくはこんにちは。こんばんは。
私たちは日々、目まぐるしい情報の中で暮らしていますね。
そんな現代において、ふと立ち止まり、自分自身と向き合う時間の大切さを感じることはありませんか? 今回は、そんな内省の機会を与えてくれる仏教の伝統的な修行期間「安居(あんご)」について、皆さんと一緒に探求していきたいと思います。
安居とは一体何なのか、そしてそれが現代を生きる私たちにどのような意味をもたらすのでしょうか。
安居の起源:大昔のインドに思いを馳せて
安居という言葉を聞き慣れない方もいらっしゃるかもしれませんね。
これは「安らかに住むこと」「平穏に暮らすこと」という意味を持つ仏教用語で、サンスクリット語の「ヴァルシャ(varṣa)」、つまり「雨」や「雨季」に由来しています。
今から二千五百年ほど前、仏陀(ブッダ)がインドで教えを説かれていた時代にその習慣は始まりました。
当時のインドには、春から夏にかけて約3ヶ月間続く雨季がありました。
雨季になると草木が芽吹き、たくさんの虫たちが活発になります。
仏陀(ブッダ)の教えに従い、旅をしながら修行をしていたお弟子さんたちは、この時期にうっかり小さな命を踏み殺してしまわないよう、また、川の氾濫などで移動が困難になることも考慮し、一箇所に集まって集中的な修行を行うようになりました。
これが安居の始まりです。
修行僧たちは寺院や洞窟に身を寄せ、外との接触を断って、ひたすら自己の内面と向き合い、教えを深めていたのです。
その間、食事などは在家の信者さんたちが運び、お弟子さんたちはそのお礼に説法を行うという、お互いを支え合う美しい関係がありました。
この「安居」のための定住場所が、やがてお寺の原型になったとも言われています。
日本への伝来と独自の発展
遠いインドで始まった安居の習慣は、仏教が中国を経て日本へと伝わる中で、私たち日本人にも受け継がれてきました。
日本にはインドのような明確な雨季はありませんが、やはり季節の節目に集中して修行を行うことの大切さは理解されたのでしょう。
日本の歴史書『日本書紀』には、683年に宮中で安居が行われたという記録が残っており、これが日本における安居の始まりとされています。
平安時代になると、桓武天皇の命によって多くの国分寺で安居が恒例行事となり、やがて一般のお寺にも広まっていきました。
特に禅宗では、夏だけでなく冬にも「冬安居(とうあんご)」や「雪安居(せつあんご)」という形で安居が行われるようになります。
夏安居は旧暦の4月16日から7月15日頃まで、冬安居は10月16日から1月15日、あるいは11月16日から2月15日頃までと、おおよそ3ヶ月間、僧侶たちは外界との接触を避け、寺院の敷地から一歩も出ずに修行に専念するのです。
これは、殺生を避けるという慈悲の心と同時に、集団生活の中で規律を守り、仏道への理解を深めるための大切な期間とされてきました。
禅宗に息づく安居の姿:坐禅と作務、そして摂心
現代の日本仏教、特に禅宗(曹洞宗や臨済宗など)では、この安居が修行僧にとって非常に重要な期間として位置づけられています。
安居の期間中、修行僧の一日は厳格な日課に沿って進められます。
まだ夜も明けきらない午前3時や4時に起床し、坐禅から一日が始まります。
その後、朝のお勤めである読経、感謝の心を込めていただく朝食(粥座)、そして作務(さむ)と呼ばれる掃除や畑仕事などの労働に従事します。
作務もまた、体を動かしながら心を整える大切な修行の一つです。
昼食(斎座)や夕食(薬石)も、食事一つ一つに意識を集中させる「応量器(おうりょうき)」という作法を用いて、感謝と気づきをもっていただきます。
そして、再び坐禅を組み、夜9時頃に就寝するという規則正しい生活を送ります。
この安居期間中には、さらに集中的な坐禅修行の期間が設けられることがあります。
それが「摂心(せっしん)」です。
摂心とは「心を一つに摂める、乱さない」という意味で、文字通り、坐禅にひたすら集中する数日間を指します。
摂心中は、普段よりもさらに坐禅の時間が長くなり、食事や短い休憩、そして経行(きんひん)と呼ばれる歩く坐禅以外は、ほとんどの時間、坐禅堂で坐禅に没頭します。
12月1日から8日まで行われる「臘八摂心(ろうはつせっしん)」は、仏陀(ブッダ)が悟りを開かれた日(成道)を記念するもので、昼夜を通して坐禅を行う、一年で最も厳しい摂心として知られています。
「命取りの摂心」とも称されるほどですが、そこには、自己の限界を越え、深い気づきを得ようとする修行僧たちの強い決意が込められています。
安居の始まりと終わり、そして盂蘭盆会へ
安居には、その始まりと終わりに重要な儀式が執り行われます。
安居の開始は「結制(けっせい)」または「入制(にゅうせい)」と呼ばれ、修行僧たちはこの期間に仏道に精進することを誓います。
特に曹洞宗では、結制のための準備に半年以上をかけることもあるほど、その儀式は重んじられています。
このとき、「首座(しゅそ)」と呼ばれる修行僧のリーダーが選ばれ、安居の期間中、皆の手本となって修行に励みます。
安居の終盤には、この首座が修行の成果を披露する「首座法戦式(しゅそほっせんしき)」という問答形式の儀式が執り行われ、多くの僧侶や一般の参拝者がその禅の力量を見守ります。
そして、安居の終わりは「解制(かいせい)」または「解夏(げげ)」と呼ばれます。
この解夏の日(旧暦の7月15日)には、もう一つの大切な仏教行事が深く関わってきます。
それが、日本で広く親しまれている「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、いわゆる「お盆」です。
盂蘭盆会は、仏陀(ブッダ)のお弟子さんの一人である目連尊者が、餓鬼道で苦しむ亡き母を救うために、仏陀(ブッダ)の教えに従って夏の修行を終えた僧侶たちに多くの供物を捧げたという物語に由来しています。
この目連尊者の行動が、先祖の霊を供養するお盆の起源とされ、解夏とお盆が深く結びつくようになりました。
現代のお盆も、亡くなった家族やご先祖様の霊をお迎えし、感謝の気持ちを伝える大切な日本の風習として、地域によって7月または8月に広く行われています。
宗派を超えた安居の多様性
安居の概念は、禅宗だけでなく日本の他の仏教宗派にも受け継がれていますが、その実践の形は宗派によって多様です。
例えば、自力修行を重んじる禅宗とは異なり、「他力本願」の教えを説く浄土真宗では、禅宗のような集中的な坐禅修行としての安居は一般的ではありません。
しかし、浄土真宗においても「安居」という言葉は用いられ、宗門の僧侶たちが期間を定めて一箇所に集まり、真宗学や仏教学の研鑽を深める「講会」として位置づけられています。
これは、仏陀(ブッダ)の教えを深く学び、阿弥陀仏への感謝を深めることを目的とした集中的な学習会であり、宗派の教義を次の世代へ伝えるための重要な役割を担っています。
また、歴史的には平安時代以降、多くの宗派で何らかの形で安居が行われていたと考えられています。
日蓮宗のポータルサイトでも「安居」が身近な仏教用語として紹介されていることから、宗派ごとの形式や内容は異なるとはいえ、安居は仏教徒全体にとって認識されている伝統的な行事であると言えるでしょう。
現代における安居の意義と私たちへのメッセージ
伝統的な安居は、修行僧が俗世から離れて集中的に仏道に専念するための期間でしたが、現代社会ではその形も少しずつ変化しています。
多くの禅センターや寺院では、一般の在家の方々が安居期間の一部に参加したり、日常の仕事を続けながらオンラインで指導を受けたりするなど、現代のライフスタイルに合わせた「安居」が提供されています。
これは、誰もが修行僧のように山にこもることが難しい現代において、安居の精神である「心を落ち着けて、仏道に専念する」という姿勢を、それぞれの生活の中で実践できるようにと配慮されたものです。
私たちが安居から学べることは、忙しい日常の中で意識的に立ち止まり、自分自身と深く向き合う時間を作ることの大切さではないでしょうか。
瞑想(坐禅)を通して心のざわめきを静め、仏陀(ブッダ)の教えを学ぶことで物事の本質を見抜く力を養い、そして日々の仕事(作務)を一つ一つ丁寧にこなすことで、今この瞬間に意識を集中させる。
そうした安居の精神は、情報過多でストレスの多い現代社会を生きる私たちにとって、心の平穏と深い気づきをもたらす貴重な道しるべとなり得ます。
安居は、単なる古い習慣ではありません。
それは、私たちが本来持っている心の静けさ、穏やかさ、そして智慧を取り戻すための、時代を超えて受け継がれる普遍的な実践なのです。
この機会に、皆さんも「心の安居」を設けて、自分自身と丁寧に向き合う時間を持ってみてはいかがでしょうか。
そこには、きっと新しい発見や心の安らぎが待っていることでしょう。
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