おはようございます。もしくはこんにちは。こんばんは。
興福寺創建1300年記念で、東京と九州国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」が2009年に開催されましたね。もう16年も前になりますね。その時に阿修羅像を見に行きましたがとても多くの人出で2時間以上待って入場して阿修羅像を拝顔できました。その当時に作ったホームページが「阿修羅の魅力」https://asura.buddha-osie.com/です。とても感動したのを記憶するために作った覚えがあります。
もう一つがこちらです。「阿修羅像の魅力」https://ashura.kokaratu.com/01ashura01.html
今日はその「阿修羅」についてのお話しです。
仏教の世界に登場するたくさんの神様や仏様、あるいはちょっと怖そうな存在の中に、「阿修羅(あしゅら)」という名前を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
特に、奈良の興福寺にあるあの有名な阿修羅像の、どこか憂いを帯びた美しいお顔立ちに、心を奪われた人も多いかもしれません。
阿修羅は、古くは古代インド神話に登場する神でしたが、後に仏教に取り入れられ、仏法を守る守護神としての役割を担うようになりました。
その物語は、現代を生きる私たちにとっても、多くの示唆を与えてくれる奥深さを持っています。
そもそも「阿修羅」という名前は、サンスクリット語の「アスラ(asura)」を音訳したものです。
古代インドでは、このアスラという言葉は生命力や生気を司る善なる神々を指していました。
しかし、インドラ神、つまり仏教でいうところの帝釈天(たいしゃくてん)などの新たな神々が台頭してくるにつれて、アスラたちは彼らと敵対する悪神、鬼神として位置づけられるようになっていきました。
仏教がインドで発展する中で、このアスラ、すなわち阿修羅もまた、その教えの中に取り込まれていったのです。
元々は善神であったものが、時を経て敵対者と見なされるようになるという変遷は、歴史の中で人々の価値観が移り変わっていく様を表しているかのようです。
仏教において、阿修羅は「八部衆(はちぶしゅう)」や「二十八部衆」という、仏法の守護神グループの一員とされています。
しかし、それと同時に、衆生がその行い(業)によって生まれ変わる六つの世界、いわゆる「六道(ろくどう)」の一つ、「阿修羅道(あしゅらどう)」の主でもあります。
この阿修羅道は、常に争いや怒りが渦巻き、心休まることのない世界として描かれます。
人々が日々の生活の中で感じる嫉妬や怒り、あるいは何かと比べて自分を優位に立たせたいという競争心などは、まさしくこの阿修羅道の特質に通じるものがあるのかもしれませんね。
阿修羅の代名詞ともいえる特徴は、その血気盛んで闘争を好む性質です。
特に、帝釈天とは宿敵の関係にあり、激しい戦いを何度も繰り広げたという逸話が数多く残されています。
私たちが日常生活で「修羅場(しゅらば)」という言葉を使うことがありますが、これはまさに阿修羅と帝釈天が絶え間なく争う激しい戦場の様子に由来すると言われています。
人間関係のこじれや仕事上の熾烈な競争など、現代社会にも「修羅場」と感じる瞬間は少なくありません。
そう考えると、阿修羅の物語は遠い昔の話ではなく、私たちの心の内や社会の営みの中に、今も息づいているように感じられます。
しかし、阿修羅の物語は、ただ争いばかりではありません。
仏教の奥深さは、こうした好戦的な存在にも「改心」の機会を与え、救済の道を示すところにあります。
法華経には、四大阿修羅王が霊鷲山(りょうじゅせん)で仏陀(ブッダ)の説法を聞き、仏法に帰依したという記述があります。
帝釈天との戦いに敗れ、深く傷ついた阿修羅が、仏陀(ブッダ)の教えに触れることで心を開き、仏教の守護神へと生まれ変わったという話は、私たちに大きな希望を与えてくれます。
どんなに激しい怒りや苦しみの中にいても、心ひとつで変えられる可能性がある、というメッセージとして受け取ることができるでしょう。
阿修羅の姿といえば、多くの方が「三つの顔と六つの腕」を持つ「三面六臂(さんめんろっぴ)」の像を思い浮かべるのではないでしょうか。
奈良の興福寺に安置されている国宝の阿修羅像は、まさにその代表的な姿であり、少年のような繊細な表情と、すらりとした六本の腕が織りなす造形美は、見る者を惹きつけてやみません。
この像は、仏陀(ブッダ)が涅槃(ねはん)に入られた際に駆けつけた、悲しみと安堵が入り混じったような表情をしていると伝えられています。
日本においては、阿修羅単独で祀られることは稀で、多くは八部衆の一員として、あるいは三十三間堂の二十八部衆のように、他の神々と共に仏法を守る存在として安置されています。
阿修羅が、なぜこのような複雑で葛藤を抱えた存在として描かれるのでしょうか。
仏教の教えでは、阿修羅道に生まれる原因として、過去世での行い、つまり「業(ごう)」が関係しているとされます。
たとえば、他人に施しをするような良い行いをした一方で、盗みを働いたり、間違った見方をしたり、あるいは嫉妬や慢心といったネガティブな感情に囚われたりした結果、阿修羅として生まれ変わると言われています。
これは、私たちの心の中にある、良い面と悪い面、両方が混じり合っている複雑な人間性を象徴しているのかもしれません。
現代社会は、情報過多で競争が激しく、ストレスを感じやすい時代です。
SNSでの比較や、仕事でのノルマ、人間関係の軋轢など、私たちは日々、心の中で様々な「争い」を経験しています。
そうした中で、阿修羅が抱えていた怒り、嫉妬、慢心といった感情は、私たち自身の心の奥底にも潜んでいると感じることがあるのではないでしょうか。
阿修羅の物語は、私たち自身の内なる葛藤と向き合うことの大切さを教えてくれます。
自分の心の状態を深く見つめ、怒りや争いの感情を乗り越え、より平和で穏やかな境地を目指すこと。
それは、仏陀(ブッダ)の教えに触れて改心した阿修羅が示した道のりそのものです。
阿修羅は、仏教において好戦的な側面を持つ一方で、仏法に帰依し守護神となるという、大きな変容を遂げた存在です。
その姿は、私たち人間が持つ多面性、そしてどんなに荒々しい心も、仏陀(ブッダ)の智慧と慈悲によって穏やかさに転じることができるという希望を示しています。
現代社会で生きる私たちもまた、日々の喧騒の中で感じる心のざわつきや争いの感情を、阿修羅のように見つめ直し、平和への一歩を踏み出すことができるはずです。
阿修羅像の静かで美しい表情は、そんな私たちの心の奥底に宿る、安らぎと智慧の可能性を優しく語りかけているのかもしれません。
の教え-65-120x68.jpg)
の教え-77-120x68.jpg)