「悪事千里を走る」――現代に響く古の教訓と仏教の智慧

仏陀の教え ことば
The Teachings of Buddha
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日本のことわざには、私たちの日常生活に深い示唆を与えてくれるものがたくさんありますね。
「悪事千里を走る」という言葉もその一つ。
耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
このことわざが意味するのは、「悪い行いや悪い評判は、あっという間に遠くまで知れ渡ってしまう」ということです。
まるで風に乗って一瞬で広がるかのように、どんなに隠そうとしても、悪いことはすぐに明るみに出てしまうもの。
そんな人間の社会の真実を、実に的確に言い表しています。

「千里」と聞くと、一体どれくらいの距離を想像されるでしょうか。
昔の単位で言えば、一里は約3.9km。
それが千倍ですから、実に広大な距離を指します。
現代の感覚で言えば、日本全国どころか、世界中にまで情報が瞬く間に拡散されるようなイメージに近いかもしれませんね。
インターネットが発達した現代社会では、SNSでのたった一つの投稿が、文字通り「千里」どころか「万理」を超えて世界中の人々の目に触れることも珍しくありません。
このことわざが持つ普遍性は、時代を超えて私たちの心に響きます。

では、この「悪事千里を走る」という言葉は、一体どこから来たのでしょうか。
そのルーツを辿ると、遠く中国の宋の時代にまで遡ります。
孫光憲(そんこうけん)という方が著した『北夢瑣言(ほくむさげん)』という書物に、「好事門を出でず、悪事千里を行く」という一文が見られます。
これが、ことわざの直接的な由来とされています。
昔から人は、良い行いがなかなか世間に知られない一方で、悪い行いは驚くほど速く広まる、という世の中の皮肉な一面を感じ取っていたのですね。

この「好事門を出でず」という対になる言葉は、「良い行いはなかなか世間に広まらない」という意味です。
誰かがひっそりと良い行いをしても、それはなかなか話題にならない。
でも、ひとたび悪いことが起きれば、まるでニュース速報のように駆け巡る。
これは、私たちが日々のニュースやゴシップに触れる中で、実際に感じることではないでしょうか。
人の心は、悪い情報に敏感に反応し、それを共有したがる傾向があるのかもしれません。
だからこそ、良い行いをしていても過信せず、悪い行いには常に慎重であるべきだという教訓が込められています。

この中国の思想は、日本の仏教とも深く繋がっています。
『景徳伝燈録(けいとくでんとうろく)』という仏教の重要な典籍にも、「好事門を出でず、悪事千里を行く」という言葉が登場します。
この文脈では、善い行いが知られにくい世の中だからこそ、仏陀(ブッダ)の教えという「善いこと」を広めるために、達磨大使(だるまたいし)が遠くインドから中国へ渡ってきたのだと説かれています。
これは、単に世の中の世知辛さを嘆くだけでなく、それでもなお「善」を広めようとする強い意志と行動の重要性を示唆しています。

仏教は、根本に「不殺生戒(ふせっしょうかい)」という、生きとし生けるものの命を大切にする教えがあります。
この教えは、私たち人間だけでなく、すべての生命への慈悲の心を育むことを説いています。
争いや対立はまさに「悪事」として、瞬く間に広がり、多くの悲しみを生みます。
だからこそ、「悪事千里を走る」という言葉を通して、平和という「好事」こそが世界中に、そして私たちの心にこそ、もっと広まってほしいという願いが込められていると解釈することもできます。
仏陀(ブッダ)の教えは、まさにその「善いこと」を広めるための智慧であり、私たちの生き方の指針となるものです。

現代社会において、「悪事千里を走る」という言葉は、かつてないほどのリアリティを持って私たちの前に現れます。
企業のスキャンダル、政治家の汚職、学校でのいじめ、芸能人の不祥事…これらはインターネットやSNSを通じて、文字通り瞬時に世界中へと拡散されます。
隠蔽しようとしても、その試み自体が新たな「悪事」としてさらに大きな火種となり、手の打ちようがなくなることも少なくありません。
一度失った信用を取り戻すのは至難の業であり、個人のみならず、組織にとっても計り知れない打撃となります。

このことわざが私たちに伝える教訓は、非常にシンプルでありながら、奥深いものです。
それは、「常に自身の言動に責任を持ち、慎重であるべきだ」ということ。
たとえ誰にも見られていないと思っても、小さな悪事がやがて大きな問題へと発展し、取り返しのつかない事態を招く可能性があります。
自己中心的で安易な行動は、結局自分自身を苦しめることになる。
そうした人間の根源的な弱さを見抜き、私たちに「自重」という大切な心構えを促してくれます。

結局のところ、「悪事千里を走る」という言葉は、現代を生きる私たちにとって、自己を見つめ直すための鏡のような存在です。
情報が氾濫し、匿名性が担保されやすい今の時代だからこそ、私たちはより一層、倫理観や道徳心を大切にしなければなりません。

自分の発する言葉や行動が、どれほどの広がりを持ち、どんな影響を与えるのか。
仏陀(ブッダ)が説いた慈悲の心、そして達磨大使が遠路はるばる伝えた「善いこと」の精神を胸に、私たち一人ひとりが良き行いを積み重ねていくこと。
それが、より良い社会を築き、自らの心の平安を保つための第一歩となるでしょう。