仏陀の教え-仏陀の生涯-仏陀の出家

仏陀の生涯-仏陀の出家

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仏陀(ブッダ)の出家

ラーフラ王子は、日を重ねるごとに愛くるしくなりました。

ヤソーダラ(耶輪陀羅)妃の、夫と子を慈しむ愛情は一層深まりました。

第二夫人のムリガジャーには、妊娠の気配はませんでした。

この頃、太子は第三夫人ゴーピカーをめとりました。

第二夫人と第三夫人は、時に猛烈な嫉妬心を剥き出しにして太子にぶつかってきました。

太子は、愛するがゆえに、自らや愛する相手を傷つけるものの実体について悩みました。

太子が長老会議に出席して7年経った頃、大国のコーサラ国とマカダ国が国境紛争を起こし、戦争となりました。

シャーカ族も、コーサラ国のパセーナディ大王の動員命令を受けて、武装兵団をガンジス川の国境近くへ派遣しました。

小国の増援部隊はすべて最前線に配備され、大国の部隊の盾がわりに使われました。
一ヶ月ほどの戦闘で両国は講和し、派遣部隊は本国へ引き上げました。

シャーカ族の部隊は二百名ほどの小部隊でしましたが、死傷者は数十名に及びました。

何の為の闘いだったか、戦闘に参加した将兵にはまったく分からりませんでした。

シュットダナ王にしても彼らの武勇を賞し、その働きをねぎらうことしかできませんでした。
何の利益も無く大きな被害を受ける小国の悩みを、シッタルダ太子は身をもって体験しました。

太子は、三つの宮殿を泊まり歩くことを止め、林泉の樹下に座禅して、沈思黙考する日が多くなりました。

シッタルダ太子は、心を苦しめる悩みを解決するには、出家して修行者になるしかないと思いましましたが、決心がつかず29歳となりました。

王宮を捨て、ラーフラ王子やヤソーダラ(耶輪陀羅)と別れ、孤独の旅に出たところで、恩愛の絆を断ち切ることができるだろうか。
太子は、日々悶々と悩んでいました。

愛するヤソーダラ(耶輪陀羅)と合い、太子の懐に飛び込んでくるラーフラ王子のあどけない話しに耳を傾ける。

ある時王子は木の下で瞑想にふけっていました。
目の前で農夫が田圃を耕し、その鍬に驚いた虫が地面の外に出てきました。
するとそれを見つけました。鳥が虫を捕って食ってしまいました。

ところがその鳥が虫を捕って空に上ると、鷲がやってきて、その鳥を捕らえ、食ってしまいました。

若き王子は死というものがあまりにもあっけなく訪れるものであることを思い知り愕然とします。

この幸福な生活の陰に、病気が、老衰が、死が、隠されていると感じます。

人間の"四苦"「生・老・病・死」です。

ある日太子が園林へ降りると、巨樹の下に座して坐禅をしていた時、ある乞食(こつじき)の修行僧が近づいてきました。

修行僧は、「煩悩は切って捨てるわけにはいかない、煩悩こそ出家修行の始まり」と言います。
太子は、その修行僧との会話を通じて、出家を決意しました。

伝承では、この城退出の契機を四門出遊〈シモンシュツユウ〉と伝えています。

ある時に王子が城の西門から出た時、老衰激しい老人に出会い、南門から出た時には、苦しむ病人に出会い、西門から出た時には、死者の葬列に出会いました。

北門から出た時に、気高い修行者と出会い、その気品に打たれました。

これが出家の機縁であると伝えられています。


翌朝、夜明け前に、シッタルダ太子は、従者のチャンナと白馬のカンタカと共に出発しました。
太子は、カピラヴァスツの町を一気に駆け抜け、アヌービアの森に着きました。

そこで初めて、太子はチャンナに出家の決意を話しました。

引き止めるチャンナを説得して、彼を白馬カンタカと共に王宮へ返しました。

太子は、林の中へ分け入りました。

途中で猟師に逢い、太子の白絹の衣と、猟師の古い衣と交換しました。

これで、太子も少しは苦行者らしくなりました。

仏陀(ブッダ)は夜中にこっそりと城を出るとそのまま髪を切り、出家して当時の北インドの中心であるマガダ国に向かいました。
この時カーリーヘアーの仏陀(ブッダ)は短く髪を切ったあとがクルっと短くまとまりました。
この髪の様子が現在仏像に見られる螺髪です。


アヌービアの森のパールガヴァ仙人の下で7日間暮らしました。

そこにいた数人の苦行者も、太子の悩みを解決するのには何の役にも立ちませんでした。

彼らの考えは、「来世の安楽を得るために、現世の苦行をする」と言う個人主義的なもので、シッタルダが望む「人間の苦悩を解脱(げだつ)し、多くの人の心を救」おうとする願望とはまったく異なっていました。

太子の出家の報により、王宮は大騒ぎになっていました。

チャンナは、太子に言われた通りに、「生・老・病・死の苦悩を乗り越えるために苦行林に入」り、「今こそ、正法(しょうほう)を求める時と思い定めた」ことをシュットダナ王に伝えました。

王は、すぐに祭祀長や政務長官らの捜索隊を出しました。

捜索隊は太子に追いついて太子の説得に努めたましましたが、太子の決意は固く、シッタルダは、「父王の慈愛はよく知っていますが、地上の王でなく、人間の心を救う王となりたい」ことを告げます。

「人間は、いつかは死によって別れなければならない。憂苦の生ずるのは親子間だけではない。」、
「太子の地位にいて、五欲に従うのは望みではない。王宮で、解脱を修めるのと同時に、王の道を修めることは不可能である」と告げました。

太子の心が堅かったので、捜索隊は王宮へ戻っていきました。


父王の使臣と別れたシッタルダは、マカダ国の首都、ラージャグリハ(王舎城)へ向かいました。

その近くには、哲学者のゴーサーらやジャイナ教の開祖マハーヴィーラが住み、彼らに対する信奉者も多く、苦行者も多くいました。

マカダ国のピンビサーラ大王は、シャーカ族の太子が自国を訪れている事を知り、シッタルダのもとを訪れました。

大王は、シッタルダにマカダ国の精鋭部隊を授けると申しでました。
敵対国のコーサラ国のシャーカ族の太子を、味方に取り込もうと言う魂胆になりました。

シッタルダは聡明だったといわれていますので、大王の政略が手に取るように分かりました。
将来、マカダ国とコーサラ国の間に挟まって、小国のシャーカ王のシュットダナが苦しめられることになるのではないかと思いました。

シッタルダが乞食修行者になったのは、欺瞞(ぎまん)や謀略の渦巻く俗世から脱却するためであり、どのような誘惑も彼の心を動かすことはできず、彼はピンビサーラ大王の申し出を断わりました。

シッタルダがラージャグリハへ来たのは、ヴェサリーに住む彼の未来を予測したアーラーラ・カーラーマ仙人に訪ねるためでした。

アーラーラ仙人は、三百人の弟子達と一緒に住んでいました。
シッタルダは、彼に導きを願い、思索瞑想を続けました。

シッタルダは、ある日アーラーラの下に行き、真理について尋ねました。

アーラーラは、「無所有処(むしょうしょ)」の理を述べました。

無所有とは、何も所有しないと言うことです。

アーラーラ・カーラーマの思想は二元論で、人間はプルシャと呼ばれる精神と、プラクリティと呼ばれる根本原質によって形成されているとする教えでした。

プルシャは、常住不変で生・死・老・病の影響は受けず、プラクリティが、肉体的物質的世界を展開して、自我意識が起こる。

迷いや悩みは、この自我意識と純粋精神の混同から起こる。
坐禅と言う実践方法で、自我意識から解放され、純粋意識だけで、このあらゆる心の束縛から解放された状態が、「無所有処」であると言います。

ゴータマ・シッタルダは、あっという間にそれを体得してしまいました。

ゴータマ・シッタルダは、アーラーラから得る所はあっましたが、無所有処の境地が最上の真理であるとは納得できずに彼の元を去り、ウッダカ・ラーマ仙人を訪ねました。

ここでは非想非非想処定という教えを学びますが、これもあっという間に体得してしまいます。

ウッダカ仙人は、王族の崇敬を受けていたのでかなり傲慢になっていて、詭弁を用いて人を翻弄する態度と言葉に、シッタルダは失望して彼の下を去りました。

仏陀の教え-仏陀の誕生

仏陀の教え

求道苦行(ぐどうくぎょう)

「生・老・病・死」の苦しみをどう克服するか、人間の生まれながらに担っている苦悩をどう克服するか、その思索のためにシッタルダは修行の道に入り、高徳な聖人のもとを訪れましたが、満足の行く答えは得られませんでした。

高徳の聖人たちがそこまで到達し得たのは厳しい苦行のためだったといわれていますので、ゴータマ・シッタルダは自分の修行が甘かったと気づきました。

自分も苦行し、思索し、自覚して、初めて真理が得られると考えました。
シッタルダは、ガンジス川の支流ナイランジャー川の上流の山林に分け入り、坐禅に明け暮れました。

彼が苦行を始めると、彼と共に苦行をするものが増え、5人の苦行者が彼と共に坐禅をするようになりました。

シッタルダは、人里へ托鉢(たくはつ)に行く事を止め、森の中の木の実や草や豆を採ってきて煮て食べ、餓えをしのぎました。

森の中には、虎や象などの猛獣も住んでいて、決して安全ではありませんでした。

ゴータマ・シッタルダは、苦行を続け、6年もの月日が流れました。

栄養失調で、歩行すら困難なくらいに痩せ衰えました。

しかし、長年の苦行をした結果、仏陀(ブッダ)はこの苦行によっては自分の求めているものは得られないと悟りました。


自分だけが安心立命する事を望んでいるわけではなく、人間苦の救済の道を求めているので、このまま餓えて死んでしまっては、つかみかけました真理が消滅してしまうと思い、シッタルダは、そう思って杖にすがって村に出かけて、食を求めて托鉢しました。

スジャータと言う少女が、痩せ衰えたシッタルダを見て、牛乳で煮た粥を作って、シッタルダに捧げました。

苦行林にいた5人の仲間は、そんなシッタルダを軽蔑しました。
餓えの苦しさに負けてしまったのだとシッタルダを批難して、ヴァーナラシー(現在のベナレス)へ去っていきました。

そこで仏陀(ブッダ)はその修行仲間たちに別れをつげて山を降り、ネーランジャー川(ナイランジャー川)に臨むガヤー(ウルヴェーラー)の地でアジャパーラー(※菩提樹)の下に座り、そこで静かに瞑想に入りました。

(※アジャパーラーの木は無花果樹で、古くからインド民衆から神々の住居として尊敬されています)。
シッタルダが修行した大樹のある所は、後年仏陀(ブッダ)ガヤーと呼ばれるようになりました。


雨季が終わって、強い陽射しを避けるため、シッタルダは涼しい風が吹き通る大樹の陰に坐禅し、瞑想していると、身も心も爽やかでした。

シッタルダは、自らに課した苦行の束縛から解放されたことを喜びました。

役にも立たぬ苦行から離れ、安定した心の状態でこそ正しい真理を把握できるはずだ、と考えたのでした。

その時、瞑想しているシッタルダを、「苦行の道を離れたのに、自分を浄いと思っている」とからかうように歌う人が近づいて来ました。

シッタルダは、「私の信念を破壊しようとしても無駄です。私は多くの苦行僧以上の激烈な苦痛に堪えてきたし、これから猛烈な苦痛を受ける人でも私以上の苦痛は受けないでしょう。
しかし、この激しい苦行をもってしても、人智を超えた完全な、優れた知恵に達することはできません。真理を悟る道は他にあって、私は今それを探っています。」
と答えました。

多くの修行僧達は、シッタルダを苦行者から脱落した者として、誰も彼に近づこうとはしませんでした。

シッタルダはそのおかげで瞑想を邪魔されずにすむので、彼の側から苦行者が去って行くのを喜んでいました。

彼は、時折大樹の陰から出て町へ出向き、托鉢をしました。

ウルヴェーラーの町の人々は、彼に対して畏敬の念をもって接しました。

彼が王族の出である噂が広がると、一層シッタルダを尊敬するようになりました。

この町で金融業を営んでいるナムチは、シッタルダに関心を寄せた。
ナムチというのは"悪魔"と言う意味だが、彼は高利貸しの悪どい商売をしていたので、町の人々からこう呼ばれていました。

普段は欲張りでけちなこのナムチが、シッタルダに豪華な接待を申しでました。
バラモンの階級では、いかにお金を持っていても商工業者は低い身分で、しかもナムチは"悪魔"などと呼ばれていましたので、王族のシッタルダと縁を結び、町の人々の蔑視を見返したかったのでした。

しかし、贅沢な料理にも美しい娘にも、シッタルダは心を動かされませんでした。

「あなたの親切は、ありがた迷惑だ。あなたは私の欲望を燃え立たせようとしていますが、私は色や香りの誘惑からとうに脱け出しているので、そのご馳走から何も心を動かすものを感じない」と言って、ナムチの接待をことわって彼の家をでました。

ナムチは、シッタルダが彼を身分の低いカースト階級だから接待をこばんだのだと、ひがみました。

ナムチには4人の娘がいましたが、今度はこの娘達がシッタルダを誘惑して、彼と縁を結ぼうと画策を始めました。

しかし、この娘達の誘惑の計略は3番目の娘までことごとく失敗しました。
三人の姉達は、評判の高い美女で、その三人が熱烈な愛をささげたのに、シッタルダは一顧も与えず弾き飛ばしてしまいました。

一番下の末娘のクンカパーラーの番になりましましたが、彼女は姉達と違っていました。
シッタルダは、下層階級の子供達にも分け隔てなく接して、食物を分け与えて、一緒に食べているのに、富豪の食卓には見向きもしませんでした。

彼女は、シッタルダがどんな男なのか知りたくて、シッタルダのもとを訪れました。

彼女は、彼に"悟り"について尋ねました。
シッタルダは次のように答えました。

「生きとし生けるものはすべて、流転輪廻(るてんりんね)の生涯を未来永劫に続ける運命を持っています。」

「生まれ、生き、やがて死ぬが、あの世でも生き苦しみ、前世の因縁によってこの世に生れ変わり、この輪廻は果てしなく続き、生れ変わるのは人間とは限らない」

「修行者は、おそろしい輪廻の中で生き続けている人生のまことの姿を見極める為、欲望を捨て、貪欲を去り、悩みや怒りや悲しみやおそれを忘れ、心を平成に保ち、知恵を磨き、思索して、輪廻の濁流を超え、真理の彼岸に渡ることを念願しています。」

「真理をとらえることを"悟り"と言い、正覚(しょうがく)を得るとも言います。」

「悟った人は"仏陀(ブッダ)"とあがめられ、輪廻の実相を悟った聖者は生死を超越しているから、輪廻のおそろしい世界からも超越し、生れ変わるとことはありません。」

「聖者は永劫の輪廻の過程での究極の到達点であり、これが最後の人生で、後生へ生き返ることはありません」

「"悟り"とは仏陀(ブッダ)になることであり、修行者はそれを最終の目標としています」

ということをを説きました。

クンカパーラーは、「悟りとは、各自帰る家があって、そこに家族がいることだ」と理解したのかもしれません。
自らのなすべきことを見つけること。
それが悟りだと思いました。

クンカパーラーはすべてを理解したわけではありませんでしたが、自分の家族がシッタルダの修行を妨げたことを悲しみました。

シッタルダは彼女の涙を拭って、彼女が自分の罪を悟ったこと、その清純な心を忘れないように語りました。

家に帰り、父や姉達に「私の言葉を伝え、世俗の欲望を追う事を忘れ、永遠の幸福と心の安静を願うように」とクンカパーラーにいいました。

シッタルダは、川辺の菩提樹の樹陰で瞑想を続けていました。
真理を求めも苦悩からの解脱の道を探り、苦行の道を歩み続けて、既に7年が過ぎていました。

沈思黙考の中、シッダールタは12月8日の明けの明星輝く時、シッタルダは、ふっと目を開きまだ暗い空を見上げると、暁の明星が輝いていました。

その星の光を見つめた時、シッタルダの心に閃くものがありました。
長年、思索に思索を重ねて追求してきた真理を得たのです。


、全ての人々を救済する真実と知見(大悟・解脱)を得て、仏陀(世尊)と成ら
れました。
この時釈尊は35才(30才)、この日を成道会〈ジョウドウエ〉といいます。


尚、仏典では、この日までの姿を菩薩とし、大悟以後を釈尊(仏陀)と区別し
て説いています。

仏陀が悟られたものは「苦の根本は何か。全ては縁起の道理によって生じ滅する」という縁起の大法則でした。

仏教では、これを「三法印・四諦・八正道」等の言葉で説き示しています。