仏陀の教え-仏陀真理のことば-第一章ひと組みずつ

仏陀の教え-真理のことば

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仏陀真理のことば

仏陀真理のことば
第一章ひと組みずつ

第一章では、二つの詩が対になっています。
同じ事を反対側から見て説いています。


この詩は、汚れた心の場合と、清らかな心の場合の二つの方向から見て説いています。


ものごとは全て心によって作り出されている、とされています。
この全てのものごとと言うのは、ここでは森羅万象全てのことと捉えるのではなく、人の考え方や行動と言う範囲について説いていると見たほうがよく分ります。
唯心論の世界のように、心に思い描くことが出来るからこそ万物が存在しうるのだと言うような意味にはとらないほうが良いでしょう。


犬猫にしても、心を持っているものは全てかもしれませんが、少なくとも我々人間の言動は心が先にあり、心が主体となっていることに間違いはありません。
右に行きたいから右に行き、楽しいから笑い、悲しいから泣くのです。
一般的にその反対は考えくいですね。
特殊な例を引いて、思いもしないのに体のほうが先に動くことがあるではないかと、言われるかもしれません。


仏陀の今ここで言いたかったことは何だったでしょうか。
宗教家として言いたかったことは何だったかと言うことです。


数学的、あるいは科学的な論をしているのではありません。
人々はどうあらねばならないかを説いていると思います。


人の言葉というのは実に怖いものであると言う一面を持っています。
他人をののしれば、大抵は明日から絶交状態になってしまうでしょう。
仏陀はずばりそう言っていると思います。
汚れた心で話すならば、そこから苦しみが始まってしまいます。


汚れた心で行動するならば、やっぱりそういう結果になるでしょう。


逆に、清く正しい語りをし、行動をするならば、慕われ、尊敬され、皆と仲良く暮らしていくことができるでしょう。


だから、人々よ、先ず第一に心を清く正しくしなさい。
そうすれば自ずと、言葉も清く正しくなり、行動も清く正しくなるのだよ、と説かれていると思います。




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仏陀-真理の言葉-第一章ひと組みずつ

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中村 元 (翻訳)

第一章ひと組みずつ



ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

□ちょっとわかりやすく
すべてのことは、心から始まり、結果が作り出される。
だから、正しい心を持って行動しなければ、良い結果はうまれない。



ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
──影がそのからだから離れないように。



「かれは、われを罵った。
かれは、われを害した。
かれは、われにうち勝った。
かれは、われらから強奪した。
」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。



「かれは、われを罵った。
かれは、われを害した。
かれは、われにうち勝った。
かれは、われらから強奪した。
」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。



実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。

□ちょっとわかりやすく
怨みの連鎖を断ちきるのは、怨みを捨てるしかない。



「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
──このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。



この世のものを淨らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。
──弱い樹木が風に倒されるように。



この世のものを不淨であると思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。
──岩山が風にゆるがないように。



けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。


10
けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。


11
まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではなしと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(マコト)に達しない。


12
まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。


13
屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。


14
屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することか無い。


15
悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。
かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。


16
善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。


17
悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。


18
善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。


19
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。
──牛飼いが他人の牛を数えているように。
かれは修行者の部類には入らない。


20
たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。

□ちょっとわかりやすく
怠惰は邪悪のもとであり、努力は正しい生活のもとです。

仏陀真理のことば 1章
:dhammapada(buddha) 1