「七不退法」~衰亡を防ぎ繁栄を築く七つの事柄
八正道や六波羅蜜はどちらかといえば人間個々の生き方を説いたものですが、仏陀(ブッダ)は仏教そのものが衰えないための法を何通りも説いていました。
そのたびに「それを聞け。よく心にとどめよ」と弟子たちを諭していました。
それは仏陀(ブッダ)が自分の死後、サンガがどうなるか心配していた裏返しともとれます。
実際に堤婆達多の裏切りのようなことがありましたから。
そういう心配はなされていたのでしょう。
最後の旅に出る前、仏陀(ブッダ)は弟子たちを集めて法話をしていました。
『太パリニッバーナ経』は、霊鷲山に潜在していた仏陀(ブッダ)のもとに、マガダ国から使者が訪れる場面からはじまっていました。
マガダ国の重臣ヴァッサカ土フという人が国王の阿開化の命を受けてラージャグリ八(王舎城)の外にある霊鷲山に釈尊を訪ねてくるのです。
阿開世は釈尊に帰依していますが、太子のころ、釈尊の教団をわがものにしようとした堤婆達多にそそのかされて、父のビンビサーラ王から王位を奪おうとして牢に幽閉し、獄死させています。
ビンビサーラ王は諸王の中で最初に仏陀(ブッダ)に帰依して支持者になり、竹林精舎を寄進した人物です。
阿開世は父王を閉じ込めるだけでなく、仏陀(ブッダ)にも危害を加えようとします。
それも堤婆達多のたくらみです。
でも、阿開世は自分の過ちに気づき、前非よい生き方を悔いて釈尊に入信します。
それ以来、釈尊教団の有力な擁護者となりました。
入信後、王位に即いた阿開化は何かあれば釈尊の教えを乞い、その指示に従いました。
彼は、車臣ヴァッサカーラを釈尊のもとに遣わしたのも、そうした問題への対処法を尋ねるためでした。
その問題というのが、ヴァッジ国を攻めたいと考えているが、どう思うかということだったわけです。
ヴァッジ族というのはガンジス何の北側に都市国家をつくって栄えていた一族です。
当時、インドでは十六の国が群雄割拠して栄枯盛衰を繰り返していました。
その十六の国の中でも特に勢力をのはしていたのがガンジス何流域の国々です。
そこでマガダ国とコーサラ国の二大国が近隣諸国を次々に征服して領土を拡大していたという背景があります。
ヴァッジ国は小国でしたが、裕福で文化度も高かったんです。
ここを支配できれば、マガダ国はより強大になる。
阿開世は釈尊の教えに帰依しているとはいえ、まだ年若く征服欲もあったのでしょう。
ただ、入信の影響もあり、自制の念が働いて判断に迷い、家臣を派遣して釈尊の指導を求めたのだと思います。
そこで使者を霊鷲山へ送るんです。
おもしろいのは、釈尊はそのときに直接に答えないんです。
後ろに控えた弟子のアーナンダに向かって問いかけるんです。
そして、その答えをヴァッサカーラに聞かせる。
この釈尊の説法はおもしろいと思います。
大勢じゃなくって、ただ一人を選んで話しかけて、それを傍聴させる。
釈尊はまず「アーナンダよ、ヴァッジ国の人々は今もよく集会を聞いて、相談をして事をまとめているだろうか?」と問いました。
「世尊よ、かの人たちは前と変わりなく、よく集まりを開いて事を議していますが、人集まりもよいそうです」とアーナンダが答えると、釈尊は「そうか、集会がうまくまとまっている間は、ヴァッシの繁栄が期待され、衰退の心配はあるまい」といいました。
そして次々に、
- 「よく自分の為すべきことを果たしているか」
- 「昔からの掟をよく守って暮らしているか」
- 「古老を尊敬しているか」
- 「婦女子の保護は進んでいるか」
- 「祖先を崇敬しているか」
- 「聖人を尊んでいるか」
と、合わせて七つの項目について尋ねます。
それに対してアーナンダが「おおむねよく行われている」と肯定的に答えると、
釈尊は大きくうなずいて
「それではヴァッジ国の将来の繁栄が期待されこそすれ、衰亡の恐れはないであろう」と答えます。
使者としてやってきたヴァッサカ土フは、この釈尊とアーナンダの問答をそのまま阿闇世に報告します。
その報告を聞いた阿闇世はヴァッジ国の征服を断念するんです。
この七項目を守れば衰亡に向かうことはないというので「七不退法」と名づけられている説法です。
「上水菩提、下化衆生」
仏陀(ブッダ)がお誕生のときに右手で上をさし、左手で下をさしています。
これは普通、「天上天下唯我独尊」(この世に自分より尊いものはない)という意昧にとっていますが、「上水菩提、下化衆生」の象徴として見たほうがいいと考えています。
「上水菩提、下化衆生」こそが人間の生きる道だと思われます。
仏陀(ブッダ)の話し伝えた言葉の中に闇夜を照らす光を見つける。
仏陀(ブッダ)の教えている人間の生き方というものについて、人間というのは「そのとき」によって生き方が変わってきます。
戦国時代の仏教と、泰平の時代の仏教とは違うし、高度成長期の仏教と、いまのような平成の時代の仏教は違いますね。
人間は、その時代その時代に応じて、仏教という広い宝の山から自分たちの生きる指針を取り出していました。
だから、「あの時代にはあれ、この時代にはこれ」でいいと思われます。
そう考えると、いまの時代は人問の命が軽くなっていて、みんなの気持ちが僻(ひがみ)になっていますから、誰もがこの不安な世の中を安心して生きていけるような心強い教えを求めていると思います。
いろんな社会的不安もある、老後の不安もある、それから政治家やお役所も信用できそうもありませんね。
隣人さえも安心できませんし、いまは小学校の子どもに「知らない人から声をかけられたら走って逃げろ」と教えているところもあるらしいです。
それほど人間不信の世の中に、穏やかな気持ちで不安というものを抱かずに生きていけるような教えを仏教の中から探すことが、いまの最大のテーマだろうと思います。
不安の時代、僻(ひがみ)の時代の中で、明るく落ち着いた気持ちで自信を持って生きていくことを大事にして仏教と向き合うべきではないでしょうか。
仏教は、闇を照らしてくれる光の役目かもしれません。
世の中の闇や心の闇を、淡い光でもいいから、ほんの一瞬でもいいから、照らしてくれる。
その光が射してくれば安心できる。
仏教というのはそういう光なのだと思います。
「仏教はよりよく生き、よりよく死ぬための教え」ではないでしょうか。
精密な論理性に支えられている仏陀(ブッダ)の教え
日本人は無常を感覚としてとらえて感傷的にとらえるけれど、仏陀(ブッダ)の教える無常とはそうではないと。
むしろ仏陀(ブッダ)は論理として「変わらぬものはない、すべてのものは動いていく、常ならぬものである」といっていました。
そういう考え方が、一番共感できるところなのです。
仏陀(ブッダ)はたとえ話も上手だけれども、その語り目はちょっと乾いています。
まず一番目にこれがあります。
これを分けていくと二つに分かれる。
二つがさらに四つに分かれる。
四つをひとつひとつ分けていくと八つに分かれる。
こういう論理の立て方はいかにもインドの入らしい。
日本人は、悟りというと中心を掴もうとするけれども、仏陀(ブッダ)はそれだけではなかったようです。