仏陀(ブッダ)、説法を開始
シッタルダは、川辺の菩提樹の樹陰で、長年思索に思索を重ねて追求してきた真理を得ました。
"無処有所"の思想を飛び越え、一切を無と感ずることによって、心の安静を得て、"輪廻"の濁流を越え、欲望も苦悩も死滅させることができました。
「万物はすべて無常です。欲望も恐怖も苦悩も、すべて無我によって死滅する」。
シッタルダの得た"悟り"は、閃きによって得たもので、言葉では言い尽くせない体験でした。
このシッタルダの正覚を"成道"と言い、四諦八正道(したいはっしょうどう)とか十二因縁(いんねん)と言われています。
現在我々が耳にする"涅槃(ねはん)"と言う言葉は、漢訳の文字自体には何の意味も無く、ニルヴァーナのことで、心の平安や安静心を意味しています。
同じく"般若(はんにゃ)"にも文字自体には意味が無く、プラジニューのことで、"無分別智"と言う表現です。
常識的な分別智(大小、善悪、美醜等)は相対的なもので、絶対的なものではありません。
常識的分別差というのは、本来存在しないということです。
物を認識する場合は、本来のありのままの分別されない実体において把握しなければならないとされています。
分別智によって認識された善と悪も生も死も、すべて無分別智では否定され、その実体性も否定されています。
多くの人の迷いや悩みは、常にこの分別智から生まれてきます。
無分別智(プラジニュー)は、悟りへの知恵です。
"般若心経"は、この無分別智を説いており、多くの仏教宗派がこの般若心経を尊重しています。
無分別智の完成者、真理を自覚したゴータマ・仏陀(ブッダ)は、アジャパーラーの樹の陰に坐し瞑想していましたが、その姿はくつろいだ姿で、思索の苦しみから解放されたような風情になりました。
その前を通りかかったバラモンが、ゴータマ・仏陀(ブッダ)の姿を見て、はっと立ち止まったといいます。
仏陀(ブッダ)が、苦行を怠けているのだと思ったのです。
仏陀(ブッダ)はバラモンを諭し、最後に言いました。
「真のバラモンはこの世にある何物についても高慢な態度は示さない。
人が、バラモンと呼ぶかどうかは、当人の徳性の如何によるもので、生まれがどの階級からであろうと関係ありません。」
バラモンは恥じ入って、仏陀(ブッダ)を合掌礼拝して立ち去りました。
2人の旅の商人が仏陀(ブッダ)を訪ねてきました。
この2人は、仏陀(ブッダ)と仏陀(ブッダ)の教えに帰依すると述べ、在俗信者として認めてくれるよう頼み、仏陀(ブッダ)は大衆教化と精神救済に向かう決心をしました。
仏陀(ブッダ)がウルヴェーラーに行くと、以前仏陀(ブッダ)を誘惑して堕落させようとした女人達は、仏陀(ブッダ)の法に帰依すると誓いました。
仏陀(ブッダ)は、この女人たちは初めての女人の信者になりました。
ゴータマ・仏陀(ブッダ)は、真理を把握するためにたいへんな苦行と思索を重ねましましたが、それを大衆に説くのは簡単なことではありませんでした。
仏陀(ブッダ)は、はじめこの境地というものは他人にはとても伝えられないことだと考えました。
しかしそこに天から声がありました。
それは梵天の声であったともいいます。
「そのことを人々に伝えて欲しい。世の中に広めて欲しい」
この梵天の勧請によって仏陀(ブッダ)は自分の認識したことを人々に教え回ることを決意しました。
仏陀(ブッダ)は、まず仙人と仰いだアーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねるつもりでしましたが、彼も彼の子も既に亡くなっていたので、今まで修行を共にしてきた仲間たち(5人の比丘)に伝えようと考え、彼らが移動するといっていた先バナーラスのミガダーヤ(鹿野苑)に向かいました。
悟りを開いてから5週間後のことでした。
彼らはヴァーナラシーの近くにいましたが、仏陀(ブッダ)がそこに着く前に、アージーヴィカ教徒のウバカと逢いました。
この宗派は生活派と呼ばれ、バラモン教・ジャイナ教と並ぶ三大宗派でした。
ウバカは仏陀(ブッダ)との会話の後、去っていきました。
その後、川を渡る為に船渡場へ行っましたが、仏陀(ブッダ)は金銭を持っていませんでした。
そこで、激しい濁流を静めることを条件に、船に乗船しました。
仏陀(ブッダ)が瞑目して激流鎮静を祈ると、激しい流れは穏やかになった言います。
仏陀(ブッダ)は5人の苦行者のいるサルナートの美しい森の鹿野苑(ろくやおん)に歩を進めました。
鹿野苑(ろくやおん)は、鹿が遊ぶような静かな所であったので鹿野苑ロクヤオンと云われています。
五人の修行者は、苦行から脱落した仏陀(ブッダ)を無視することと決めました。
仏陀(ブッダ)には威厳が備わったせいか、彼らは自然と仏陀(ブッダ)をもてなし、会話を始めました。
しかし、仏陀(ブッダ)の教えに即座には承服しませんでした。
それほど単純な真理ではなかったからだ。
仏陀(ブッダ)は、"五種の欲望"について述べました。
一つ目は、視覚を通して情をそそる色象。
二つ目は、聴覚に訴えて情をそそる声。
三つ目は、嗅覚を刺戟して情をそそる香り。
四つ目は、味覚を通じて情をそそる味。
五つ目は、触覚による感触で、情をそそられ触れようとする欲望。
の五つです。
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いかなる修行者でも、これらを喜び享受するものは、災いを招き、悪魔の意のままにされてしまうことを知らねばなりません。
修行者がこれらの欲望から離れ、悪業から遠ざかり、悪魔に見られなくなった時、"初禅(しょぜん)"を成就した者と言われています。
思索を静め、心を安静にし、心身を統一して、粗雑な思考を無くし精神統一ができるようになった時、"第二禅"が成就したとされています。
喜悦に染まず、はっきり意識しながら、身をもって安楽を享受できることを、"第三禅"の成就とします。
修行者が楽を断ち、喜びや憂いを滅し、不苦不落で、無念夢想の"清浄行(せいじょうぎょう)"に達するのを"第四禅"の成就とします。
物質的な形の観念をすべて超越し、物として対立する観念が消滅し、"虚空(こくう)"は無辺であると観ぜられた時、"空無辺処(くうむへんしょ)"を成就します。
空無辺処(くうむへんしょ)をまったく超越し、"識"は無辺であると知り、"識無辺"を超越して、この世に何物も存在しないと言う"無処有処(むしょうしょ)"を成就し、"無所有処"を超越した時、この智恵によって"煩悩(ぼんのう)"は滅ぼされ、修行は完成する。
修行完成により、迷妄執着の濁流を越え、自由に安心して生き、安心して歩み、安心して坐臥(ざが)するのです。
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wikipediaより
空無辺処(くうむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第1天。無量空処(むりょうくうしょ)とも言う。物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地。
物的存在たるこの肉体を厭い、無辺の虚空の自在を欣び、空無辺の理(ことわり)を解し、修行して生ずる処である。欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ、一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定。形のあるこの肉体を厭い、大空は無限であることを達観すること。無色界には空間的な場所はないが、果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける。
仏陀(ブッダ)の最初の説法
仏陀(ブッダ)の体得した真理は、五人の修行者にも伝わりました。
論理的認証と思索によって他の修行者へ伝達可能であったことは、仏陀(ブッダ)の教えを広める上での飛躍であった(こうした理由で、後代の人々は仏陀(ブッダ)ガヤー(※ナイランジャー川の菩提樹の下)だけでなく、この鹿野苑も重要な仏跡とした)。
このサルナートでの仏陀(ブッダ)の最初の説法を、"初転法輪(しょてんほうりん)"と言います。
仏教では、説法の事を車輪の輪に例えて「法輪」といいます。
「転」とはこの車輪を動かす事、従って初転法輪とは最初の説法の事をいいます。
こうして仏陀(ブッダ)の教えの最初のサンガが生まれました。
サンガとは「仲間」の意味で修行の集団のことです。
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ヴァーナラシーに、ヤサと言う富豪の青年がいました。
ヤサは、仏陀(ブッダ)のもとを訪れて教えを乞いました。
自分の青春時代と似た生活を送っているヤサに、仏陀(ブッダ)は鹿野苑で修行するように勧めました。
仏陀(ブッダ)はヤサの父に人間の"四苦"や、解脱するための無常無我の教えを説いました。
ヤサの父も(家族も)仏陀(ブッダ)の教えに帰依しました。
ヤサは仏陀(ブッダ)の7番目の弟子となりました。
ヤサの友人50人もヤサ同様に出家しました。
仏陀(ブッダ)は、ヴァーナラシーに教えが根付いたので、ヤサと五人の聖者にそこを任せて、自らはウルヴェーラーへ行きました。
ウルヴェーラーの森で安坐していると、妻を同伴した30組の一団が森に遊びに来ました。
そのうちの一人が妻がいないので、売春婦を連れてきていましたが、その女性が男の財布を盗んで逃げました。
大勢が、この売春婦を追いかけました。
彼らがゴータマ・仏陀(ブッダ)に逢うと、逃げた女の行く先を尋ねました。
すると仏陀(ブッダ)は、物への執着心が、中間達を危険にさらしていることを男に説く。
男と仲間達は仏陀(ブッダ)の言葉により目を開かれ、仏陀(ブッダ)の教えに聞き、信奉者となりました。
この女に逃げられた男は、仏陀(ブッダ)を自分の馬車に乗せウルヴェーラーに行きました。
男の村には、高い呪力を持ち洞窟に火竜を養うバラモンのウルヴェーラー・カッサパがいて、彼の魔力を恐れる村の五百人もカッサパの意のままになっていました。
仏陀(ブッダ)は、カッサパに会うことにしました。
男性は仏陀(ブッダ)に、カッサパの周りには狂信者が常に二十人もいると心配しますが、仏陀(ブッダ)は「一切を空と感ずる私に、死への恐怖は無い。」ことを男に説明しました。
仏陀(ブッダ)は、教えられた通り、カッサパのいる洞窟へ向かいました。
洞窟の中では、三十人近い信者が火を拝んで呪文を唱えていました。
仏陀(ブッダ)はカッサパの了承を得て、洞窟へ泊まりました。
仏陀(ブッダ)は、洞窟の聖火台を守る大毒蛇(コブラ)に襲われそうになりましましたが、首を簡単に押さえつけ毒を岩に流してから、蛇の胴体を引きずりながら洞窟を出てきました。
驚くカッサパを尻目に、仏陀(ブッダ)は毒蛇を深い谷底の川に投げ捨てました。
こうしてカッサパとその修行者は、仏陀(ブッダ)の足もとにひざまづいました。
仏陀(ブッダ)は、洞窟で帝釈天(インドラ)に真理を説いたと言うが、カッサパは疑っていました。
"訓練を積めば蛇などたやすく扱える"と思っていました。
仏陀(ブッダ)は、三日間に渡り、カッサパと弟子に教えを説きました。
カッサパは自ら髪を切り、髭を剃り、黄衣を着て、拝火教の祭具を川に捨てました。
カッサパの弟のナディ・カッサパとガヤ・カッサパが、五百人余りの信者を連れて、ウルヴェーラーのもとに来ましたが、最終的にこの兄弟も仏陀(ブッダ)の信者となりました。
カッサパ兄弟の弟子は千人もいたので、仏陀(ブッダ)の教えを信ずる大教団となりました。
仏陀(ブッダ)は、拝火教の霊場ガヤーシーサ山に千人の修行者を連れて行き、拝火教の教義の誤りを正しました。
仏陀(ブッダ)は、しばらくガヤーシーサ山に留まりました。
千人が仏陀(ブッダ)の教理を正しく把握するには、それなりの時間が必要だったからです。
その後、仏陀(ブッダ)は千人近くの弟子と山を下り、マカダ国の王都ラージャグリハ(王舎城)へ行き、国王のピンビサーラを訪ねました。
ピンビサーラは仏陀(ブッダ)が"正覚者(しょうがくしゃ)"として、千人もの門弟をひきいる身となったのを喜び、千人の集団を収容できる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)を城外に寄付しました。