仏陀の教え-仏陀最後の旅-ニルヴァーナの境地

ニルヴァーナの境地

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仏陀の教え-タイトル

ニルヴァーナの境地

仏陀(ブッダ)が、弟子に対して語る部分があります。
非常に、人間味のあるエピソードです。

もしも自分に何かあったならば、そのことで自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、問われる様なことになりはしないか、彼はけっして悪くないんだと、彼がその事で自戒の念に悩まされ、自分に悪徳がないのではないのかと、こういう風に考えない様に、彼によく言って聞かせてくれと、当時の鍛冶屋と言いますと、その他の職業と同じ様に、いわば当時は、カーストの外にあった、大きな差別を受けていた階層の人たちです。

そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に心を配るという、そういう遊女だ、あるいはアウト・カーストの人だという人々にも、全く平等に、自分の思いを伝え、接することを、日常の事としていた、仏陀(ブッダ)の偉大さというものを、今の、近代を超えて来た私達、人権なんていう事を、改めて学んでいる私達以前に、仏陀(ブッダ)は、自ら、率先してその事を教えてくれたような気がして、感動しないわ訳にはいきません。

仏陀(ブッダ)は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある2本並んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言をしましました。

そして、こう続けましました。

「アーナンダよ、鍛冶工の子・チュンダの後悔の念はこの様に言って、取り除かねばならない『友よ、修行完成者は、最後の供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだからお前には利益(りやく)があり大いに功徳があります。」

そこで幾分か疲労が回復したので、仏陀(ブッダ)はさらに歩みを進め、ヒラニャヴァティー河を渡って、ついに終焉の地クシナガラ(現在のカシャ)のウパヴァッタナというサーラ林に着かれましました。

仏陀(ブッダ)は、アーナンダに命じて、二本のサーラ樹(沙羅雙樹)の間に、頭を北に向けて床を敷かせ、その上に右脇を下にし、両足を重ねて、静かに横臥されます。

ときにサーラ樹は時期はずれの花が咲きそろったといいます。

大パリニッバーナ経は、仏陀(ブッダ)が横になると、沙羅双樹に変化が現れたとしています。

さて、その時、沙羅双樹は、時ならぬのに花が咲き、満開となった。
それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の身体に、降りかかり、ふりそそぎましました。

仏陀(ブッダ)は悲嘆・涕泣するアーナンダに慈愛に満ちたことばをかけられ、また滅後の記念すべき四大聖地、葬儀の方法、塔供養などについて説かれましました。




ニルヴァーナの境地

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クシナガラでの入滅と火葬

十方の世界の神霊達が私に会うためにこの周囲に集まっています。
そして、「尊師がお亡くなりになるのがあまりにも早い」と言って泣いていると。

しかしそれらの神霊達は、情欲を滅ぼし尽くし、こころに念い、よく気をつけているので「つくられたものは無常です。滅しないということがどうしてあり得ようか」
と言いながら耐え偲んでいました。


アーナンダが最後の質問をしましました。
「尊師が亡くなったあとは、誰に仕えればよいのでしょうか。」

仏陀は言います。
信仰心のあるまじめな人が訪ねて見て感激する場所が四つあると。

■仏陀が生まれた場所
■仏陀が無上の完全な「悟り」を開いた場所
■仏陀が最初に教えを説き始めた場所
■仏陀が煩悩の残りの無いニルヴァーナに入った場所

アーナンダがさらに聞く。
「わたしたちは、女性に対してどのように対応すべきでしょうか。」

仏陀は言います。

「見るな。見てしまったときには話しかけるな。
話かけてしまった時には、つつしんでおれ」と。


さらに仏陀はアーナンダの質問に対して、自分の死後、遺体は火葬に付すこと、自分を礼拝するには、ストゥーバ(土を盛りあげてつくった死者を葬るための塚)をつくって礼拝すること、遺骨は信者達が供養(礼拝)するので、弟子達、修業僧達は遺骨の供養(崇拝)にかかわらないことなどを指示しましました。


今にも訪れるであろう師との別れを悲しみ号泣するアーナンダ。

仏陀(ブッダ)は、アーナンダを呼び寄せ、こう、諭しましました。

「やめよ、アーナンダよ。
悲しむな、嘆くな。アーナンダよ。
わたしは、あらかじめこのように説いたではないか。

死を間近にした仏陀(ブッダ)の周りには、多くの弟子や信者が集まったと言います。
大涅槃像の台座には、25年もの間、仏陀(ブッダ)と共に歩んできた弟子・アーナンダの像が刻まれています。

すべての愛する者好む者からも別れ離れ異なるに至るという事。

およそ、生じ存在しつくられ破壊さるべきものであるのにそれが破壊しないようにという事がどうしてありえようか」。

仏陀(ブッダ)は、死の間際まで、この世に残される者たちを、励まし続けましました。
すべての愛するもの、好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。
およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか」仏陀はさらに、アーナンダが自分によく仕えてくれたことを感謝し、アーナンダには四つの徳があると修業僧達の前でほめたたえましました。


アーナンダは仏陀の指示でクシナガラに入り、マッラ族の人々に、仏陀が今夜亡くなることを伝えましました。

マッラ族の人々はすぐに仏陀のもとを訪ね、最後の敬礼をおこないました。

クシナガラに住む年老いた遊行者スバッダが、仏陀がその夜亡くなると予感し、仏陀から直接教えを説いてもらうために、仏陀のもとを訪ねましました。

アーナンダは死の直前にある仏陀に会わせることはできないと拒みましました。

アーナンダの拒絶に対してスバッダが三度面会を申しでたとき、仏陀はそれを聞いて面会を許可しましました。

スバッダは、名声のある6人の宗教家について、彼等の評価を仏陀に質問しましました。

仏陀(ブッダ)は、直接その質問には答えず、八正道を実践する以外に「悟り」への方法はないと説きましました。

スバッダは感銘し仏陀への帰依を申しでましました。

仏陀は異教徒が戒律を受けるには四ヶ月の別居修業をおこない、その後完全な戒律を受けさせることを許可しましました。

スバッダは、仏陀(ブッダ)から教えを受け、出家・得脱し、最後の弟子となりましました。