自らの死を予言した仏陀
「諸々の事象は過ぎ去るものです。怠ることなく修行を完成なさい。」
ある時、アーナンダに向かって、仏陀(ブッダ)は衝撃的な言葉を述べます。
それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、この世に居ないだろう」という、そういう予言です。
アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望したに違いありません。
しかし、余命は、もういくばくもない、自分は3ヵ月後に、この世を去る。
自分の言っていることは、決して間違いない。
こういう風に、仏陀(ブッダ)は、断定します。
おそらく、仏陀(ブッダ)の80年の生涯の中で、自分の人生の終わりというものを、すっきりと予感しました。
そういう瞬間だっただろうと思いますね。
仏陀(ブッダ)は、アーナンダに、「自分はこの世を去る、去る前に、自分が、色々、言っておきたいことがあります。
だから、「修行僧達を沢山集めなさい」こういう風に、アーナンダに命じます。
そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧を前に、仏陀(ブッダ)は、この様に言われたという風に、経典には書かれています。
そこで尊師は、修行僧達に告げられましました。
「修行僧達よ私は、いま、お前達に告げよう諸々の事象は過ぎ去るものです。
怠ることなく修行を完成なさい。」
「久しからずして修行完成者は亡くなることだろうこれから3ヶ月過ぎた後に修行完成者は亡くなるだろう。」
この様に説いたあとでさらに、次のように言われましました。
「我が齢は熟しました。
我が余命はいくばくもない。
汝らを捨てて、私は行くであろう。
私は自己に帰依することを成し遂げた。
汝ら修行僧たちは、怠ることなくよく気をつけてよく戒めをたもて。
その思いをよく定め統一しておのが心をしっかりと守れかしこの教説と戒律とに務め励む人は生まれを繰り返す輪廻を捨てて苦しみも終滅するであろう。」
物事は、移り変わるものだという様な事を、いくら口で言っても、どんなものでも流転するという様なことを、自分の身をもって、みんなに語ろうとしているんではないでしょうか。
仏陀(ブッダ)という人が、尊敬され、そして、その教えが、広がれば広がるほど、その人を、偶像化して、永遠に戴いて崇拝していこうという機運が高まってきまくることを思っていたのだと思います。
自分は、もう、如何に仏陀(ブッダ)といえども、自分も涅槃に入るんだという事を言って、それで、その時、突然、自分が居なくなって、周りが大混乱するよりも、あと3ヶ月というこの日々を、周りの修行僧やアーナンダ達が、しっかり心に刻んで、あと1日、あと1日という風に、大事にして生きるようにという、生きるもの・残されたものへの配慮したのだと思います。
自らの死を予言した仏陀(ブッダ)。
別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきました、しかし、仏陀(ブッダ)は、彼らに戻るように説き、形見として自分の托鉢の鉢を渡しましました。
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バンダ村・ボーガ市において
バンダ村では比丘たちに戒・定・慧・解脱の四法の説法を行ない、その後、ハッティ村 アンバ村、ジャンブ村を経て、ボーガ市に到達されます。
ここでは四大教法についての説法がなされます。
■戒律について
■精神統一について
■智慧について
■解脱について
修業僧の誰かが、次の四つのいずれかを語ったとしても、それを正しいとしてはならない。
それらの文句をひとつずつ経典に引き合わせ、戒律に照らして吟味し、経典に合致し、戒律に一致するなら、それが師の説いたことばであり、その修業僧が正しく理解したことであるとしなさいと。
■これは、仏陀から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えです。
■これは、修業僧の集から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えです。
■これは、博学で、聖典を伝え、法と戒律を保つ長老達、修業僧達から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えです。
■これは、博学で、聖典を伝え、法と戒律を保つ一人の長老、または修業僧から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えです。
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