仏陀の教え-仏陀最後の旅-この世界は美しい、人生は甘美である

法を島とし法を拠り所として

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仏陀の教え-タイトル

この世界は美しい、人生は甘美である


病を克服した仏陀(ブッダ)は、回復するといつもの様に托鉢に出かけましました。
後ろには弟子のアーナンダが従います。

仏陀(ブッダ)の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたって、常に行動を共にして来ましました。

この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀(ブッダ)が発した言葉に、周りの弟子達はおどろかされましました。

それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて耳にする言葉でした。。

アーナンダとの対話アンバパーリーとのいきさつ、そして、仏陀(ブッダ)の老いと病と、そういうものが、いくつもつき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、仏陀(ブッダ)とアーナンダの間に、こういう対話があります。

「仏陀(ブッダ)・最後の旅」の中から、とても印象深い対話です。

「さて尊師は、早朝に、内衣を付け外衣と鉢とをたずさえて托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
托鉢の為にベーサーリーを歩んで托鉢から戻って食事を済ませた後で若き人・アーナンダに告げた。」

「アーナンダよ、座具を持って行け私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう昼間の休息の為に。」

そこで尊師は、チャーパーラー霊樹の元に赴いた赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座しました。

若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座しました。
一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの様に言われましました。

「アーナンダよ、ベーサーリーは楽しいウデーナ霊樹の地は楽しいゴータマカ霊樹の地は楽しい七つのマンゴーの霊樹の地は楽しいタフブッダ霊樹の地は楽しいサーランダ霊樹の地は楽しいチャーパーラ霊樹の地は楽しい。」

これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉です。

サンスクリットの方から訳されたこのくだりにはですね、非常に印象的な言葉が加えられています。

この世界は美しいそして、人生は甘美であるまあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書かれている訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀(ブッダ)が、言われたかは分かりません。

この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉を、さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加えたかもしれません。

この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀(ブッダ)にそういう風な言葉を言って欲しいなという風に、心から思っていたことが伺えますね。

仏陀(ブッダ)の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生というものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・シンキングと言いますか、どん底から出発する訳です。

この世というものは苦しいものである、そして、生老病死、様々な苦しみに満ちています。
この苦しみの中から人はどのように苦しみに耐えて生きていくか。

仏陀(ブッダ)は、その事を終生追求し続けた人だと思います。

それでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏陀(ブッダ)の最後の旅の「末期の眼」の中で、『この世界は美しい、人生は甘美である』、例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後に、仏陀(ブッダ)に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居たことでしょう。

人間というものは、『決定的な絶望の中に生き続けることは、本当は難しいこと』です。
そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその様に、物語の中で自分達の思いを、仏陀(ブッダ)に託して、そして、こういう事を言って欲しかったという事を付け加えて、伝承というものが生まれてきます。

それは、仏陀(ブッダ)が、言った言わないとは別に、人々が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、醜の世界から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行きたいという願いを抱き続けて、2500年も生き続けて来たという事を表している訳ですから、それはそれで真実であろうという風に思う所があります。




若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われましました。

アーナンダよベーサーリーは楽しい
ウデーナ霊樹の地は楽しい
ゴータマカ霊樹の地は楽しい
七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
タフブッダ霊樹の地は楽しい
サーランダ霊樹の地は楽しい
チャーパーラ霊樹の地は楽しい。




雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきましました。

ヴェーサーリーの人々は、何時までも、別れを惜しんだと言います。

町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴェーサーリー王によって建立されたと伝えられています。

小さな半円形のストゥーパからは、仏陀(ブッダ)の遺骨の一部を納めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されましました。

ヴェーサリーにおいて

仏陀(ブッダ)は、弟子達、修業僧達とともに、アンバパーリー女の所有する林に居住しましました。
アンバパーリー女は娼婦でありましたが、富裕で大邸宅に住み、富裕な人々に歌舞音曲をもって奉仕することを仕事としていました。
遊女アンバパーリーは、仏陀達がヴェーサリーに来ていて、自分のマンゴー林に居住していることを知り、仏陀のもとへ挨拶に出向く。
仏陀は仏法に関する講話を行い、彼女を教え、諭し、励まし、喜ばせる。
アンバパーリーは、お礼として自宅で仏陀を供養したいと申し入れ、受け入れられる。

この話を聞いたヴェーサリー市のリッチャビ族の貴公士たちが、自分たちも仏陀をもてなしたいと仏陀のもとへ伺うが、アンバパーリーの先約があることを知り悔しがる。

アンバパーリ-は、仏陀を供養し、仏法に関する講話を聞いた後、マンゴー林を仏陀を上首とする修業僧の集に献上しましました。

この世界は美しい、人生は甘美である

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