仏陀の教え-仏陀最後の旅-煩悩から解き放たれた理想の境地

仏陀最後の旅-煩悩から解き放たれた理想の境地

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仏陀の教え-タイトル

煩悩から解き放たれた理想の境地


「どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた理想の境地に至るか」

ガンジス河は水が満ちていて、水が渡し場の所までおよんでいて、平らかであるから、カラスでさえも水が飲めるほどであった。
ある人々は船を求めています。
ある人々は大きないかだを求めています。
また、ある人々は小さないかだを結んでいます。
いずれも彼方の岸辺に行こうと欲しているのです。
そこで、あたかも力士が屈した腕を伸ばし、また伸ばした腕を屈するように、まさにそのように僅かの時間の内に、こちらの岸において没して、修行僧の群れと共に向こう岸に立った。

ついで尊師は、ある人々が船を求め、ある人々はいかだを求め、ある人々はいかだを結んで、あちらとこちらへ行き来しようとしているのを見た。
そこで尊師は、この事を知って、その時、この環境の言葉を一人つぶやいた。

『沼地に触れないで橋を架けて、広く深い海や湖を渡る人々もあります。
木切れや、つた草を結びつけて、いかだを作って渡る人々もあります。
聡明な人々は、既に渡り終わっている』



ガンジス河を如何にして渡るか。
それは、どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた理想の境地に至るかという事の例えだとさています。
仏陀(ブッダ)は、いともたやすくガンジス河を越えましました。

民主主義の国・ヴァッジ国

「民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀(ブッダ)は、こよなく愛していました」

インドの仏教歌:

金のお皿でご飯を食べて貰いましょう
仏陀(ブッダ)に乳粥(ちちがゆ)を差し上げましょう
金の台の上に席を用意しましょう
仏陀(ブッダ)にお願いして座って貰いましょう
ここで仏陀(ブッダ)に静かに休んで貰いましょう
私は、みんなに仏陀(ブッダ)が来ていることを知らせます



ガンジスを渡った仏陀(ブッダ)は、いくつかの村を経て、ヴェーサーリーへと向かいました。
そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。。

仏陀(ブッダ)の時代、北インドは、16もの国にも分かれていました。
その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針をは話し合いで決める進んだ国でした。。
大パリ二ッバーナ経には、仏陀(ブッダ)が、ヴァッチ国の事を賞賛した言葉が記されています。

ヴァッジ人が、しばしば会議を開き、会議には多くの人が参集する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

ヴァッジ人が、共同して集合し、共同して行動し、共同してヴァッジ族としてなすべき事をなす間は、ヴァッジ人には、繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。


ヴァッジ国の都ヴェーサーリーに向かい、遊女アンバパーリーの所有する郊外の園林に着かれましました。

ここでは、比丘たちに対する四念処の説法があり、アンバパーリーからは食事の供養を受け、その園林を布施されます。

仏陀(ブッダ)の一行は、ヴェーサーリー郊外のマンゴー園に留まります。
布教の旅では、決まって町外れに滞在します。

修行の為には静かな環境が望ましいのですが、托鉢をするには人の集まるにぎやかな場所が必要です。

「俗に染まらず、俗から離れず」大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園での逸話が残されています。


不思議な事に、ここにはとっても華やかで人間的なエピソードが一つあります。

このマンゴー畑の所有者といいますか、地主の方が、ヴァイシァリーの町では大変著名なサロンの女主人公がいました。

この女主人公は、実は、高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなくて、一夜の値段が、牛何十頭などという、王侯貴族を相手にするという様な、しかも教養もあり、音楽もあり、文学も出来、詩も詠めるという素晴らしい、高名な女性であったらしいんです。

そのアンバパーリーという女性なんですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名な仏陀(ブッダ)が滞在しているという事を聞いて、そして、教えを乞いに仏陀(ブッダ)のもとへやって来ます。

そして、仏陀(ブッダ)から様々な話を聞いて大変深く感動して、感動したアンバパーリーは、自分の、是非、屋敷に招待して一夜の宴(うたげ)を催したいという風に、仏陀(ブッダ)に申し入れます。

遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどういう風に応対すべきか、ちょっと、分かりませんが、仏陀(ブッダ)は、そこんところを非常に快く、つまり、法といいますか、仏法というものを尊ぶ心の持ち主ならば、いかなる職業であっても差別しないという、そういう気持ちからでしょうか、仏陀(ブッダ)はそれを承諾するんですね。


仏陀(ブッダ)が、ヴェーサーリー郊外に滞在していることを聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきます。

「自分達も仏陀(ブッダ)を招待したい」と申し入れましました。

しかし、仏陀(ブッダ)は、既に、遊女・アンバパーリーの招きを受けていると、その申し出を断ります。

貴族達の中には、自分達より遊女を優先するのかと非難する者も居ましました。

ここで遊女という、アンバパーリーという、女性の話が出てくるというところがですね、この経典の中での、ある種の非常に興味深い所です。

それは何かと言いますと、やっぱり当時のインドでも、女性に対する偏見というのは、今よりもっともっと深いものがあったに違いありません。

ましてや職業の貴賤ということに関しては、さらに偏見が多かったと思うんです。
そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、どういう職業の人間であろうと、分け隔てなく接する。

そして、「人間は、皆、平等だ」という仏陀(ブッダ)の基本的な仏教の考え方というものがですね、そのエピソードの中に盛り込まれているんじゃないか、今から2500年前、それほどの昔にです。

今でも、なお、残っている女性に対する蔑視とか、職業に対する差別とか、そういうものを乗り越えて最後の旅を続けて行く仏陀(ブッダ)の姿に、なんとなく共感します。


ヴェーサーリー郊外に、遊女アンバパーリー縁(ゆかり)といわれる仏教遺跡が、今も残されています。

後の時代に、インド北部一帯を支配したアショーカ王が建立した石柱とストゥーパ・仏塔です。

仏陀(ブッダ)と一人の遊女の出会いが、人々の心を動かし、大きな仏教遺跡となって残されたのでしょうか。

仏陀(ブッダ)は、このバイシャリーの地で大きな試練に出会うことになります。
ここで命をも脅かす様な、重い病を得たのです。

コーティ村において

仏陀は修業僧達に、四つのすぐれた真理(四諦)を説きましました。

■一切は苦しみです。

■苦しみが起こるもとは、真理を理解しない(覚らない)無明であり、無明は執着する心によって生じる。

■苦しみを止滅するには、執着する心、生存への妄執を断ち切ることです。

■苦しみの止滅に導く道は、正しい八つの道(八正道)を実践することです。

煩悩から解き放たれた理想の境地

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