仏陀の教え-仏陀の生涯

仏陀の生涯

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仏陀(ブッダ)の生涯

日本の仏教には、様々な宗派があります。
これが仏教の本質を分かり難くしている要因の一つです。

仏教には数千を超える経典があるとされ、これらを一生涯のうちですべて極めるのは不可能だと思います。

そこで、それぞれ各経典を基に、仏教の真理に迫ろうとしたため様々な宗派が生まれました。

仏教各派の教えは、一人の人物に辿り着きます。
それが”仏陀”"お釈迦様"と呼ばれる人物です。

"仏陀(ブッダ)"は、シャーカ族の太子の名前によって、"ゴータマ・シッタルダ"とも呼ばれています。
もしくは、シャーキャ族の聖者(ムニ)と言う意味で、"シャーカムニ"(釈迦無牟尼/しゃかむに)とも呼ばれています。
別の訳語から、"世尊(せそん)"とも言われています。

ゴータマ シッダールタとはゴータマ家のシッダールタの意味です。
然し、シッダールタsiddhartha siddhatthaには「目的を達した人」の意味もあるので、本来の幼名とは限らないが、仏伝では出家以前の名をシッダールタとしています。


一般的に名称である仏陀(ブッダ)牟尼仏sakya muni buddhaは仏陀(ブッダ)族の聖者・仏の意味です。


"仏陀(ブッダ)牟尼世尊(しゃかむにせそん)"を略して、"釈尊(しゃくそん)"と言う表現も使われます。
最もよく聞く名前が、ゴータマ・仏陀(ブッダ)(※仏陀(ブッダ)=覚者)です。

単に"仏陀(ブッダ)"とか"お釈迦様"と言う場合は、その言葉はシャーカ族を指しているに過ぎないので、字義的な意味合いで考えれば上で挙げたような名称を用いるべきなのかもしれませんが、世間一般で"お釈迦様"と言う名称で通っています。

「釈尊の呼び名について」

釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)の呼び名は、沢山あります。
* ゴータマ・シッダールタ
* 釈迦牟尼世尊
* 釈尊
* 世尊
* 釈迦牟尼如来
* 如来
* 釈迦
* お釈迦さま
* 仏陀
* 仏陀(ブッダ)
* 仏さま
* み仏さま
* 釈迦牟尼仏

このホームページ内でもいろんな呼び方で表記していますのでご了承下さい。

仏教の教えはこの仏陀(ブッダ)の教えに辿り着きます。

仏教を知るには、まずはこの仏陀(ブッダ)の人生について考察することが重要だと思います。

私たちは、仏陀(ブッダ)の生涯を断片的に知っています。

シャカ族の王子だとか、菩提樹の下で悟りを開いたとか、そう言う類の話しです。

仏陀(ブッダ)の教えを理解するためにも仏陀(ブッダ)の一生涯を振り返ってみましょう。

仏陀の教え

ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ [単行本]
宮元 啓一 (著)

仏陀の教え

仏陀誕生の時代背景

仏陀(ブッダ)が生まれるシャーカ族の国は、ヒマラヤ山脈の麓(現在のネパールのタラーイ盆地)にありました。
当時、ガンジス川流域には、16の大国が競い合っていましたが、中でもマカダ国、ヴァンサ国、アヴァンティ国、コーサラ国は四大王国として君臨していました。
シャーカ族のゴータマ・シュットダナ王は、このコーサラ大王の庇護を受ける小領主でした。
シャーカ族は、北方のアーリア系人種なので、ギリシャ人のようなくっきりとした目鼻立ちをしていたようです。

この頃、インドの宗教は古代祭祀を受け継ぐバラモン教でした。
支配階級の多くのバラモンが、権力を利用して民衆をだましたり、娯楽におぼれたりしていました。


彼らが築いたヴェーダ文化も無視されるようになりました。
また農業生産向上により経済生活が豊かになり、交易も盛んにな、農村的閉鎖社会は解放されてきました。

商工業者中心の都市型社会も次第にできてきていました。

会議もバラモンの一方的な神託訓示型ではなく、長老達による民主的で自由な話し合いの方式になりました。

こうした自由化されていった社会の背景も、バラモン的社会階級制度が崩れて、バラモンの権威が薄れる要因だったかもしれません。

古代バラモンの宗教的な権威の失墜と共に、拠り所を見失った世の人々の道徳や倫理観も若干低下してきました。

何もかもが混沌とした時代になりました。

信頼を失ったバラモンに代わって、王族(クシャトリア)が民衆の上に立つようになりました。

また、一方で、バラモンを否定するジャイナ教のような新しい宗教も起こっていました。

「霊魂は"業(人間が本来持っている欲望)"に支配されていて苦悩しているのだから、苦から脱け出すには、苦行によって過去の業を滅し、新しい業も防ぎ、魂を浄化させる。

そのために、出家して修行僧とかビクと呼ばれる修行者となれ」と言う教えです。

修行僧には、「不殺生・真実語・不盗・不淫・無所有」の厳しい五大戒が守らされました。

こうした修行者は、托鉢乞食の生活をしながら苦行するのですが、こうした修行者を尊敬して食物を供するのも当時の一般的な風習になりました。

世を離れて遊行生活を送るのは、何も特別な人々だけではありませんでした。

当時、男が家を離れて遊行に出るのは、決して珍しいことではなかったようです。

王子である仏陀(ブッダ)が若き日に出家すれば一国の一大事なのですが、それが許されてしまうのもこう言う時代背景がだと思います。