仏陀の教えとは?
仏教と聞くと、何か暗いじめじめしたものを感じるとしたら、そんなイメージを作り上げてしまった日本人の風土にあると思います。
現代仏教界の多くはその収入源を葬式や付随する法事か観光事業に頼っているような気がします。
読まれる経典は中国文の漢字を日本語読みしており、聞く方はなかなか理解できませんね。
仏教が日本に入ったのは538年、かれこれ1500年も同じ状態が続いており、仏教の内容も中国語に堪能であるか、解説書を読んだ人でないと意味もわかりませんよね。
仏教とは人間の生き方を教える積極的・能動的なものであって、決して死者を祭る為に創られたものではないような気がします。
仏陀の教えは今の時代にどう語りかけているのでしょうか?
釈迦の言葉にこんな句があります。
「どのような友をつくろうとも、どのような人とつき合おうとも、やがて人はそのような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである」
やはり「縁」というものが人生の生きるための「何か」なのでしょう。
このページを見に来られた方も「めぐり合わせ」「縁」でしょう。
仏陀(釈迦)の教えは、その時その場所その人(人々)の為になされました。
仏陀の説法は対機説法、あるいは応病与薬といわれます。
仏陀の教え(思想、ダンマ 普遍の法)自体を文字や言葉で正確に表す事は非常に困難なことであると思われます。
仏陀(釈迦)の教え(思想)として、出来る限りその真髄に近づく事を目指すこととします。
明日をひらく仏教の名言―生きる悩みを解く仏陀の教え (日文新書) [単行本]
松涛 弘道 (著)
釈尊 最後の旅と死―涅槃経を読みとく [単行本]
松原 泰道 (著)
ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫) [単行本]
中村 元 (翻訳)
釈迦 最後の旅―『大般涅槃経』を読む [単行本]
ひろ さちや (著)
仏教の本質 哲学者「中村元」
中村元先生は、仏教・インド哲学の巨匠です。
漢文からの翻訳が中心だった仏教研究をインドの古代思想にまでさかのぼり
初めて原始仏典を現代語に翻訳しました。
釈尊の呼び名について
釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)の呼び名は、沢山あります。
* ゴータマ・シッダールタ
* 釈迦牟尼世尊
* 釈尊
* 世尊
* 釈迦牟尼如来
* 如来
* 釈迦
* お釈迦さま
* 仏陀
* ブッダ
* 仏さま
* み仏さま
* 釈迦牟尼仏
今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。
カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。
釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊や世尊と言われています。
また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のものということです。
実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことになります。
また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀(ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。つまり、釈迦牟尼仏です。
このホームページ内でもいろんな呼び方で表記していますのでご了承下さい。
仏陀(釈迦)について
釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)は紀元前400年頃(別説500年頃)に現在の印度とネパールの国境地帯、タラ-イ盆地のシャカ族の王子としてネパールのルンビニで、マーヤ夫人(Maya・摩耶・生後7日目死亡)を母に、4月8日(別説2月8日)生まれました。
16才で結婚し長子(Rahula・羅候羅)が生まれましたが、元来優しい人柄であったので人々の「生老病死」に苦しむ姿を見て、29才のとき出家しました。
6年間、苦行を通して人々を救う道を求めましたが、苦行はその道でないとウルヴィルヴァー山を出てナイランジャナー河で沐浴し髪とヒゲをそり、セーナ村の娘スジャータの介護を受けた後、対岸ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下で、ついに悟りに達したのは35才でした。
やがてヴァナラシー郊外サールナート(鹿野苑)で教化し弟子5人を得て仏教教団が成立しました。
釈迦はキリストのように神の子として生まれるのではなく、無師独覚の人として聖者(Buddha・仏陀)となりました。
仏教は、人生の苦しみ・迷いから覚める(解脱)ための因縁を説いて人間の生きるべき道を明らかにしたものであり、死んだ時の葬式の為にあるものではないのです。
当時インド最大のマガタ王国で尊敬されていたバラモン僧のカーシャパ(迦葉)三兄弟や哲学者シャーリプートラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目蓮)などの集団転向そしてビンビサーラ王(頻婆娑羅)自身の帰依により確固たる教団となり、やがて世界的宗教へと発展します。
教団(Samgha・僧伽)では階級制度を否定し、当時卑下されていた女性の僧侶を創るなど平等主義を貫きました。
毎年、雨季には竹林精舎や祇園精舎など一ヶ所に定住生活をしましたが、常に遍歴の教化を繰り返し、やがてクシナガラで2月15日に80才の生涯を終えました(入滅)。
仏陀の在世年代について、いまのところ世界的な定説はありません。
西欧の学界では一般に、紀元前560~480年頃という南方仏教の伝承が承認されているようです。
日本では北方伝承によって約1世紀遅い説(463~583)が有力とされています。
仏陀は80年の生涯をおくられ、一人の子供(男子【ラーフラ】後に仏弟子となる)がいました。
仏陀は29歳前後に修行のため家を出た後に、やがて悟りを開き究極の真理に目覚めます。
仏陀は悟りを開いて(成道)後の半生はその教説を説いて過ごされました。
彼の周りにはその教えを信じ実践する人々の集まり(サンガ)ができていきました。
仏陀の教説は8万4千の法門といわれています。
それは一人一人の相手に合った教説を説いたために対機説法ともいわれています。
したがって仏陀の言葉は、その時その場所でその人(その人々)に最も適した言葉として語られたものなのです。
仏陀はその生涯において1冊の書物も自らは残していません。
その言葉や行いは多くの弟子たちによって、仏陀入滅後に経典という形で私たちに残されました。
その後も仏陀の教えは(仏教として)語り継がれ、書き継がれて約2500年の時を経た今でも、私達にも語りかけているのです。
「人間」の「間」という字を『広辞苑』で引くと、説明の中に「めぐりあわせ」とあります。
めぐりあわせとは、ご縁です。