仏陀真理のことば
第二章はげみ
第2章は、不死とか死の意味についてまとめています。
死と言うのは生物としての生命の収束を意味するものではありません。
生きがいを持たず、惰性で生きているような生活は生きていることの価値はないことを死と表現しているのであり、不死というのは、充実感あふれる生活を送っていることを意味するのです。
努力して務め励むということももう少し意味があるようです。
単に我武者羅な努力、例えば毎日の深夜残業のようなこととは多少違うようです。
もちろんそういう努力も包含されますが、もっと広い意味で捉えなくてはなりません。
たとえば、恨みに堪え、恨みを捨てる努力をも言っていると思います。
そのような努力をすること自体が不死の境地であり、充実した生活となるのです。
反対に、恨みを怨みとして持ち続け、これを捨て去る努力をしない人は、いつまで経っても楽しく充実した生活を送ることはできません。
死の境地だと表現されているわけです。
般若心経では、死と言うことについて、無、即ち空だといっていますが、ここではもう少し現実的に捉えているようです。
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ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) [文庫]
中村 元 (翻訳)
第二章はげみ
21
つとめ励むのは不死の境地である。
怠りなまけるのは死の境涯である。
つとめ励む人々は死ぬことが無い。
怠りなまける人々は、死者のごとくである。
22
このことをはっきりと知って、つとめはげみを能く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地をたのしむ。
23
(道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。
これは無上の幸せである。
□ちょっとわかりやすく
正しい生活を目指して忍耐し努力することによって、心の平安と満足が得られる。
24
こころはふるい立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。
25
思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。
26
智慧乏しき愚かな人々は放逸(ホウイツ)にふける。
しかし心ある人は、最上の財宝(タカラ)をまもるように、つとめはげむのをまもる。
27
放逸に耽るな。
愛欲と歓楽に親しむな。
おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。
28
賢者が精励修行によって怠惰をしりぞけるときには、智者の高閣に登り、自から憂い無くして(他の)憂いある愚人どもを見下す。
──山上にいる人が地上の人々を見下すように。
29
怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目醒めている思慮ある人は、疾くはしる馬が、足のろの馬を抜いてかけるようなものである。
30
マガヴァー(インドラ神)は、つとめはげんだので、神々のなかでの最高の者となった。
つとめはげむことを人々はほめたたえる。
放逸なることはつねに非難される。
31
いそしむことを楽しみ放逸におそれをいだく修行僧は、微細なものでも粗大なものでもすべて心のわずらいを、焼きつくしながら歩む。
──燃える火のように。
32
いそしむことを楽しみ、放逸におそれをいだく修行僧は、墜落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。
仏陀真理のことば 2章
:dhammapada(buddha) 2