仏陀(ブッダ)の最後の言葉
いよいよ最後の時刻が近づいたとき、仏陀(ブッダ)は比丘たちを集めて、滅後の教団のありかたなどについて教誡を与え、なお何か疑問がないかと尋ねましました。
「わたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前達の師となるでしょう。
わたしがいなくなってから後悔することのないよう、仏陀と、法と、集と、道と、実践に関して疑問があれば質問しなさい。」
(教え=法、戒=行うべきこと、律=行ってはならないこと)
仏陀(ブッダ)は、自分が死んだ後、いかにあるべきかについて、修行僧たちに説きましました。
そして、最後に聞いておくべき事はないかと、三度、訊ねます。
修行僧たちは、己のなすことを充分に理解し、黙っていました。
そこでアーナンダは、この様言いました。
尊い方よ。
不思議です。
珍しい事です。
私は、この修行僧の集いをこのように喜んで信じています。
仏陀(ブッダ)に関しあるいは、法に関しあるいは、集いに関しあるいは、道に関しあるいは、実践に関し一人の修行僧にも疑う疑惑が起こっていません。
誰からも声がなく、すべての比丘たちに疑問がなくなっていることを知って、仏陀(ブッダ)はこのように言われましました。
「諸々の現象は滅びてゆくものです。怠ることなく、努力せよ。」
これが仏陀(ブッダ)の最後のことばでした。。
仏陀(ブッダ)の入滅とともに、大地が振動し、天鼓が鳴りひびきましました。
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仏陀(ブッダ)の最後について、『大パリニッバーナ経(大般涅槃経)』には次のように書かれています。
仏陀(ブッダ)は、アーナンダにこう告げた。
「恐らく、そなたたちは『師の言葉はもう聞けない。師はもうおられないのだ』
と言うかも知れない。しかしそのようにみなしてはならない。
アーナンダよ、そなたたちのために説いた教えと戒律とが、私の死後、そなたたちの師となるのだ。」
また、今、そなたたちは互いに『友よ』と呼び合っているが、私の亡き後はその習慣はやめなくてはならない。
年長の修行僧は、新参の修行僧を、名または姓を呼んで、あるいは『友よ』と呼びかけてつき合うべきです。
新参の修行僧は、年長の修行僧を『尊い方よ』とか、『尊者よ』と呼んでつき合うべきです。
私の死後、修行僧の集いが望むなら、ささいな戒律は廃止してもよい。
アーナンダよ、ひねくれ、戒律を守る気持ちを欠いている修行僧チャンナには、私の死後、清浄な罰を加えなさい。
清浄な罰とは、チャンナは何を言ってもかまわないが、他の修行僧は誰も彼に話しかけず、忠告もせず、教えさとすこともせず、彼を独りにしておくことだ。
それが彼を立ち直らせるであろう。
また、修行僧の誰かの心に、ブッダについて、法について、僧団について、道について、あるいは実践について、疑問が生じるかも知れない。
もしそういうことがおこりそうならば、今尋ねなさい。
後になって、『師の目の前にいながら、師に面と向かって尋ねることをしなかった』と後悔することがないように。」
この言葉に修行僧たちは黙っていました。
仏陀(ブッダ)は同じことを3度繰り返されましたが、修行僧たちは沈黙したままでした。。
そこで告げられましました。
「修行僧たちよ、お前たちは師を尊敬するがゆえに尋ねないのかも知れない。
仲間が仲間に尋ねるようにしなさい。」
このように言われても修行僧たちは黙っていました。
そこでアーナンダは尊師にこのように言いました。
「尊師よ、不思議なことです。
驚くべきことです。
1人の修行僧にも疑い、疑念が起こっていません。」
「アーナンダよ、そなたは清らかな信仰からそのように語る。
修行完成者はこのように認識しています。
さあ、皆にもう一度思い出させよう。一切の事象は衰滅していくものです。
心して修行に励みなさい。」
五百人の修業僧達は、黙っていました。
仏陀は言います。
「この五百人の修業僧は聖者の流れに入り、怠惰なく、必ず正しい「悟り」に達する」と。
これが仏陀(ブッダ)の最後の言葉でした。。
自分を完成されるという目標に向かって絶え間ない努力を続けなさいという、厳しい教えかも知れません。
紀元前483年、インドの暦ヴァイシャーカ月(4月~5月)の満月の日のことでした。。
尊者アヌルッダとアーナンダは、その夜じゅう法について説いました。
翌朝早く、アーナンダは、クシナガラのマッラ族の人々に訃報を伝えましました。
マッラ族の人々は、6日間にわたり仏陀の遺体を供養したのち、7日目に、尊者アヌルッダとアーナンダが指示した方法によって仏陀の遺体を火葬しようとしていました。
ちょうどそのとき、尊者大カッサパとその修業僧達五百人がパーヴァーからクシナガラに向かっていました。
彼等が仏陀の火葬の場に到着し、仏陀の遺体に礼拝し終えたときに、火葬の薪が自然に燃え出したとされています。
遅れてきたマハーカッサパ(大迦葉)の一行も荼毘に間に合いました。
遺骨の分配と崇拝
遺骨はマガダ国のアジャータサットゥ王、ヴェーサーリーのリッチャヴィ族、カピラヴァットゥの釈迦族など八つの部族に分配され、さらに遺骨の瓶と灰をもらい受ける者もいました。
■マガダ王国のアジャータサットゥ王(ヴィデ-ハ国王の女の子)がラージャガハ(王舍城)に祭る
■ヴェーサリーに住むリッチャビ族がヴェーサリーに祭る
■カピラ城に住むサーキャ(釈迦)族がカピラ城に祭る
■アッラカッパに住むブリ族がアッラカッパに祭る
■ラーマ村に住むコーリヤ族がラーマ村に祭る
■ヴェータリーヴァに住むバラモン達がヴェータリーヴァに祭る
■パーヴァーに住むマッラ族がパーヴァーに祭る
■クシナガラに住むマッラ族がクシナガラに祭る
遺骨の他に、次の二つのストゥーバがつくられ、祭られましました。
■ドーナ・バラモンが遺骨を納めるための瓶のストゥーパをつくって祭る
■ピッパリ林に住むモーリヤ族がピッパリ林に灰を納めたストゥーバをつくって祭る
かくて、八つの舎利塔と瓶塔と灰塔との計十塔が各地に建立されました。
生涯の終わりというものも、何かの形での旅の途中で、世を去るというのは本当に理想な終わり方ではないかと思います。
その意味で、仏陀(ブッダ)の最後の旅は、人間として本当にうらやましい。
齢80を重ねて、大変な旅だったでしょうけども、旅の途中で、しかも豪華な都や宮殿の中でなく、美人の中でもなく、そういう寂しい寒村の林の中で亡くなった、そういう仏陀(ブッダ)の姿に、本当に共感と言いますか、憧れと、尊敬というか、そういうものを感じます。
死の直前まで、人々に向かって自分の悟った真理というものを語り続けようとしました。
ここに、仏陀(ブッダ)の宗教者としての存在、それから、人間としての魂のやわらかさ、そういうものを感じないではいられません。
体制の保持者である王とも語る、貴族とも語る、財界や商人たちとも語り合う、それでいて、差別された人々とか偏見を持たれた人々に対して、まったく率直に、そういう人々の立場に立って、ものを考え、法を説く。
仏陀(ブッダ)の持っている現代性というもの、心の大きさを改めて感じます。
人間の死に方と言うのは、その様なものだろうと感じます。
『大般涅槃経』は、仏陀(ブッダ)の大いなる死をめぐってのできごとを順序だてて詳しく述べています。
ラージャガハからクシナガラにいたる地名は、地理上の実情と正確に対応しており、それぞれの地における叙述も実際にあったできごとのように記載されているようです。
最初のラージャガハにおける七不退法の教説は、当時のマガダ国とヴァッジ国との政治的緊張関係を背景としたものであり、同じような事情はパータリ村におけるマガダ国の都市の構築という歴史にも沿っています。
ヴェーサーリーにおいて、仏陀(ブッダ)が遊女アンバパーリーから供養を受けたというのも、当時の新興都市の経済的・文化的状態から見てほぼ自然に理解される。
ベールヴァ村で雨安居に入られた時発病し、小康を得られたことや、パーヴァーでチュンダの施食によって最後の病いにかかられたことも事実であると思います。
仏陀(ブッダ)がその時食べたスーカラ・マッダヴァについては、野豚の肉という説と茸の一種という説がありますが、ともかくこれが病気の直接の原因となったのは確かだと思います。
終焉の地クシナガラにおける記事も、いろいろな史実を伝えています。
スバッダが最後の弟子となったことやマハーカッサパの一行が遅れて到着したことは、どの教典でも伝えてので本当のことだと思います。
仏陀(ブッダ)の遺骸が火葬に付され、遺骨が分配されたのも史跡からも事実だと思います。
分配先については、諸説があるので一概に正しいとは思いませんが、1898年にカピラヴァットゥの故地に近いネパールの南境ピプラーワーで発見された舎利壷は、そのふたの刻文からおそらくパーリ本やサンスクリット本などに伝える釈迦族に分配された遺骨にあたると推定されています。
この遺骨がタイ国王室を経て、日本にも分骨され、現在、名古屋の覚王山日泰寺に奉祀されていることは、周知のとおりです。
『大般涅槃経』は、このような歴史的叙述に対応して、仏陀(ブッダ)の人間としての姿や仏陀(ブッダ)をとりまく人々の様子も生き生きと描き出しています。
仏陀(ブッダ)がベールヴァ村において、自分はすでに八十歳に老齢に達し、身体はちょうど古ぼけた車が皮紐の助けをかりて動いているようなものだ、と言われているのは、仏陀(ブッダ)の人間としての姿を如実にあらわしています。
仏陀(ブッダ)の死を目前にして、侍者アーナンダが、物蔭に去って、悲しみのあまりひとり泣いていたというのは、いかにも胸に迫るものがあり、また、仏陀(ブッダ)がアーナンダのいないのに気づいて呼びにやり、悲しみ嘆くな、なんじは長い間よく仕えてくれた、これからも努め励めよ、とやさしくことばをかけられたというあたりは、仏陀(ブッダ)のこまやかな深い思いやりがあふれています。
人間味豊かな仏陀(ブッダ)の姿や仏陀(ブッダ)を思う仏弟子たちの心情は、この経典の随処にうかがわれます。
『大般涅槃経』は、仏陀(ブッダ)の「最後の旅」の歴史的事実に即して、その宗教的真実を明らかにしたものと言うことができると思います。