仏陀の教え-仏陀の教えを継ぐ者たち-仏陀十大弟子-舎利弗、目連尊者

仏陀の教え-仏陀の教えを継ぐ者たち

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仏陀の教えを継ぐ者たち

十大弟子について

仏陀は非常に多くの弟子を養成しました。

仏陀(ブッダ)はインドに16大国あった中でも、特に栄えていたマガタ国とコーサ国で教えたので、この2ヵ国に弟子が多くいます。

生涯に1250人の直弟子がいたとされ、中でも優秀な10人の高弟が十大弟子と呼ばれます。

10人の名は経典によって異なります

さらに傑僧を挙げて「十大弟子」と称えています。

この十大弟子はそれぞれ一事に長じており、その勝れた才能は多くの弟子を越え、第一人者として崇拝されています。

その得意なジャンルでナンバーワンだという意味で、全員「~第一」という別名を持っています。

例えば、「知恵第一」と言った場合には、「知恵に関して非常に優れており、そのジャンルにおいてはナンバーワンである」ということを意味します。

現在、十大弟子として広く知られているものは、『維摩経』というお経の弟子品(「品」は現代の「章」に当たります)における記述にもとづいています。

10人のうちの何人かを取り出して「四大弟子」などと呼ぶこともありますが、この10人はほぼ確定しており、誰かが他の人物と入れ替わったりすることはないようです。

以下に10人の弟子とその得意ジャンルを見ていきましょう。

舎利弗(サーリプッタ)
「阿弥陀経」の中で仏陀(ブッダ)は舎利弗尊者に三十七回も語りかけています。
仏陀(ブッダ)の教えをよく理解したことから「智慧第一」と称せられました。


目連尊者(モッガラーナ)
舎利弗尊者とは幼なじみで、母親を餓鬼道の苦しみから救ったことから「お盆」の行事が始まったといわれ、「神通第一」と称せられました。


摩訶迦葉尊者(マハーカッサパ)
仏陀(ブッダ)が亡くなられた後、仏典結集において中心的な役割をし、「頭陀行」(衣食住に執着しない行)に優れた方で「頭陀第一」と称せられました。


阿那律尊者(アヌルッダ)
仏陀(ブッダ)の前では決して眠らないという不眠の行を行ったがため失明したが、かわりに天眼(智慧の眼)を得たので「天眼第一」と称せられました。


須菩提尊者(スブーティ)
「空」を理解すること第一で「解空第一」称せられ、またものごとなどに対する執着、心の争いがないことから「無諍第一」と称せられました。


富楼那尊者(プンナ)
弁舌さわやかで、仏陀(ブッダ)の教えを体得することが第一であったので「説法第一」と称せられました。「富楼那の弁」という言葉もあるほとです。


迦旃延尊者(カッチャーヤナ)
他宗教との対論を担当したり、聖典の中で主として哲学的論議を多くしていることから「論議第一」と称せられました。

優波離尊者(ウパーリ)
仏教ビデオ「ウパーリの出家」で有名な方で、仏陀(ブッダ)が制定された戒律を実践することが第一でしたので「持律第一」と称せられました。


羅喉羅尊者(ラーフラ)
仏陀(ブッダ)の実の子で、仏陀(ブッダ)の教えや戒めを厳しく、綿密に怠ることなく精進し、解脱したことから「密行第一」と称せられました。


阿難尊者(アーナンダ)
約二十五年もの長きにわたって、仏陀(ブッダ)の身の周りの世話をし、説法を聞く機会が第一であったことから「多聞第一」と称せられました。

の十人です。

この十弟子はそれぞれ行跡に特色があり、仏陀の教法の会得にそれぞれ第一人者として崇拝され、古来からその造像があって、礼拝されて来ました。

日本にも奈良市興福寺に天平時代の乾漆造の名作があります。

中国では唐時代末に活躍した禪月貫休が描いた画像が有名です。


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仏陀の教え-舎利弗尊者

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舎利弗尊者(サーリプッタ)


智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)

仏陀(ブッダ)の弟子1250人の中「智恵第一」と讃えられ、目連と双璧を成す十大弟子の中でも経典中も数多く出てきます。




舎利弗はバラモン階級の子として将来を嘱望されつつ生まれました。

彼は周囲が期待した通り、幼い頃から驚異的な頭脳を発揮し、8歳にして神童の誉れを恣にしていたそうです。

幼名をウパティッサといいます。

舎利の子であるというところから舎利弗と名付けられたものと見えます。


舎利は母の名、弗の字は子という字になります。


父は底沙という婆羅門の大学者でした。


彼は天性特に秀でて弁才多智の人でした。


出家の身となり婆沙門教師の弟子となり、すべての羅漢の中での第一の智慧者でした。

尊者舎利弗は、一切の智慧宝を成就し知徳を備え常によく教え、よく大法を讃歎し大衆を導かれしも、後、病に伏し涅槃に入り仏陀(ブッダ)は舎利弗のために一塔を毘舎離城門外に建てられました。


親友のコーリタ(後の目連尊者)と祭見物に行った折、狂喜乱舞し祭に興じている人々を見て、100年後にはこの人達もこの世にいないであろう無常を感じ、そのことをコーリタに打ち明けると、彼もやはり同じことを感じていたのです。

このことが二人の出家のきっかけとなりました。


はじめはサンジャヤのもとで修行し、彼の説く教説はすべて理解したけれども、心の安らぎは得られなかった。

もっと深遠な心の安心(あんじん)が得られる教えがきっとあるはずだ。

それが見つかったときはお互い知らせ合おうと約束しました。

ある時、舎利弗が街で修行僧を見かけ、「あなたの清々しい立ち居振舞いに、私は惹かれてなりません。

どうか教えてください。

あなたの師は誰なのですか。

そしてその師の教えとはどんなものなのですか」と尋ねると、「私の師は仏陀(ブッダ)です。

比丘となってまだ日も浅く、詳しくその教えを説くことはできませんが」とことわって、偈文をもって仏陀(ブッダ)の教えを述べました。

「諸法は因縁より生ず如来(仏陀(ブッダ))はその因を説き給う」。

それを聞いた舎利弗は、仏陀(ブッダ)の教えがいかに優れたものであるか、たちどころに理解しました。

さすが智慧第一と称される所以でしょう。

舎利弗は急いで目連に知らせに行きました。


目連も舎利弗から偈文を聞き、仏陀(ブッダ)の教えを理解し、二人は仏陀(ブッダ)の弟子となることを決意したといいます。

すぐさま目連を誘い、250人の部下達共々仏教に入信しました。

その後の進歩も目覚ましく、入信から半月後にはもう修行の最終段階に到達していたようです。




ほどなくして舎利弗は阿羅漢果(あらかんか:悟り)を得、教団内においては、仏陀(ブッダ)をして「私の教えを十分理解し、また衆生に対し教えを説く者です。

従って彼は、私の次の席を得ることができるのです」と言わしめるほど、智慧と徳を兼ね備えた、教団第一の尊者だったのです。


目連尊者(モッガーラーナ)

神通第一の目連(もくれん)

神通第一とうたわれる目連もバラモンの裕福な家系に生まれ、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは仲のよい間柄であったこと、祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意したことは、前号でご紹介しました。


幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。

後に教団内で神通第一の尊者として舎利弗尊者とともに指導的な立場にありました。

目連も仏陀(ブッダ)のもとで修行に励み、阿羅漢果(あらかんか)(悟り)を得ました。


目連尊者の母は生涯他人を思いやることなく、もの惜しみの気持ちが強かったため、死後にその罪で餓鬼の世界へ堕ちてしまいました。


ある日、神足通(じんそくつう)(行きたいところに自由に行ける能力)という神通力によって、亡き母はどうしているだろうかと天界、人界、地獄と捜しました。

すると、母は餓鬼道にあって、身体は痩せ衰え、それはそれは哀れな様子でした。

目連は鉢に飯をもり差し出すのですが、母が口元へもっていくと、たちまち火炎と化して食べることができませんでした。

目連尊者はそれを非常に悲しみ、亡き母を救おうと神通力で食べ物や飲み物を与えようとするのですが、かえって母を苦しめる結果となってしまいます。


目連尊者は仏陀(ブッダ)の元へ行き、事の事情を話し、どうすれば餓鬼道にいる母を救うことができるでしょうかと、教えを請いますと、仏陀(ブッダ)は「そなたの母は前世の悪行によって餓鬼道に堕ちたのです。

その母を救うには雨安居(うあんご)が終る日(7月15日)に衆僧に飲食百味を供養することです」と諭されました。

教えに従って供養を尽くしたところ、目連尊者の母は衆僧の神力によって餓鬼道の苦悩から解放されました。

そこで目連尊者は仏陀(ブッダ)に相談したところ、仏陀(ブッダ)は「自分の母だけを救おうとするのではなく、大勢の僧侶に供養をすることで、広く餓鬼の世界に堕ちた人々を救いなさい」と諭(さと)されたのです。

重ねて「世尊よ、もし未来世の一切衆生で孝養の心あるものが、この目連がなしたるように供養すれば、父母を救うことができましょうか」と尋ねると「孝順の心ある者、父母を思い、7月15日に百味の飲食を供え、亡き父母のため供養するならば、一切の苦から脱(のが)れるであろう」と申されました。

この故事により、父母報恩の盂蘭盆会が修されるようになりました。

このお話を深く味わっていくと、興味深いことに気づきます。

それは救われたのは亡き母だけではないということです。


母が救われることを願っていた目連尊者も、その願いを叶えることができたわけですから、母も子も共に救われたということなのです。

その救いの背景には、仏陀(ブッダ)のお示しに素直に従えば、人が救われたという事実があります。


困ったときや悩んだときに、仏陀(ブッダ)のお示しを紐解き、そのみ教えを実践してみるのです。


そこには目連尊者のように、日頃から仏陀(ブッダ)を自分の拠り所とする帰依の姿があって始めて、人は救われるということを押さえておかねばなりません。

また、こんな逸話も語り継がれています。

仏陀(ブッダ)がある法話に臨まれたのですが、いつまで経っても始められないので、阿難尊者が「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始め下さい」と申しますと、仏陀(ブッダ)は「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。

そこで目連尊者が他心通(他人の心を見通す能力)という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて仏陀(ブッダ)に説法を願ったということです。



初期仏教教団において、きわめて重要な地位にあった舎利弗尊者と目連尊者ですが、ともに仏陀(ブッダ)より早く世を去ります。

仏陀(ブッダ)の心中いかばかりであったことでしょう。




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