幸福追求を説く
仏陀(釈尊・釈迦)の高弟の一人にアヌルッダという比丘が、祇園精舎で仏陀(釈尊・釈迦)の説法の席で何としたことか居眠りをしてしまいました。
彼は釈迦族の出身で仏陀(釈尊・釈迦)の従弟にあたるものでした。
説法がすんでから仏陀(釈尊・釈迦)は彼を呼び寄せ静かに諭しました。
「アヌルッダよ。
あなたは道を求めて出家したのではありませんか。
それなのに説法中居眠りをするとは出家の決意はどうなったのですか」
アヌルッダはひれふして仏陀(釈尊・釈迦)に誓いました。
「今日より以後は、我が身が如何になりましょうとも今日のような無様なことは致しません。」
彼はその後眠らぬ日々をつづけたのです。
やごてその刻苦のために彼は眼を病む身となりました。
仏陀(釈尊・釈迦)は、
「アヌルッダよ、心はいましめねばならないが、刻苦に過ぎることはない。
中道を求めてるがよい」と諭しましたが、アヌルッダは己の誓いの心に違うことは出来ないと言って、なおも一途な修行に没入するのでした。
やがて、彼の眼はつぶれ盲目となった。
皮肉なことにアルヌッダはそのことによって天眼を得ました。
すべてを見通すことができる智慧の眼を。
後に天眼第一と称される所以です。
肉眼のない身には、日々の生活の面で厳しいものがありましました。
ある日衣のはころびを縫おうとしていたが、悲しいかな盲目の身にはどうしても針孔に糸を通すことができないのです。
アヌルッダはつぶやくように言いました。
「誰かわたしのために、この針に糸を通して功徳を積もうとするものは居ないか。」
すると、ひそやかに彼に近づく気配がありましました。
手をさし出しながら、
「アヌルッダよ、さあ、私に功徳をつまさせてくれないか。」
と声をかけた。
それはまさに仏陀(釈尊・釈迦)の声でした。
アヌルッダは驚きました。
「世尊よ。
私は、私の仲間の求道者の中に、功徳をつむものはいないかとつぶやいたのです。
世尊にこのようなことを・・・。
思いもよらぬことであります。」
仏陀(釈尊・釈迦)は彼にこのように言われたと経典は書き残しています。
「アヌルッダよ、世間の中で幸いを求める心の強さで、私に勝るものは居ないでしょう。」
アヌルッダには納得がいきませんでした。
すでに迷いの海も渡り、愛着の心も脱し、静安の境地にいる仏陀(釈尊・釈迦)が、これ以上何故、幸いを求めるというのかわからなかったのです。
仏陀(釈尊・釈迦)はいかに究極の境地にあろうとも、なお追求してやまないものがあります。
「私だって幸福を求めて功徳を積みたいのだよ」と。
布施も忍辱も、これでよいという終りはありません。
幸福の追求も同じであると言われ、次のような謁を示し給うた。
「この世の中の力という力の中で、幸いの力はもっとも勝るものです。
それは、天界にも人界にもこれに勝るものはありません。
わが仏道もまた、幸いの力によって成るのです。」
仏陀(釈尊・釈迦)は仏教にとっても、幸福追求がまた最重要な道のひとつであることを如実に示されたのです。
阿那律尊者(アヌルッダ) 天眼第一の阿那律(あなりつ) アヌルッダは釈尊と同じく釈迦族の出身で、釈尊の従弟だといわれています。
涅槃寂静について説く
仏陀(釈尊・釈迦)が遊行の途中のこと、すでに老境に入っていたため暑さと長雨にたえかねて病みついたことがありましました。
心を大いに強くもって、この病いを克服したのでした。
高弟のアーナンダは教団の後継者についての指示が仏陀(釈尊・釈迦)のロから洩れることを期待していました。
仏陀(釈尊・釈迦)はその期待のあやまりであることを諭して言いました。
「私は、すでにあらゆる教えをみな説きつくしました。
その中には、弟子にかくして私だけがにぎりつくしてしまうような秘密は何もありません。
また私がこの教団の指導者であるとか、みなが私に頼っているとかは思ってもいません。
だから、私が教団の後継ぎを指名したりする必要はないのだ。
アーナッダよ、みなはただ自らを依りどころとして、法に依り、他を依りどころとしてはなりません。
我が亡き後も、よく自らを依りどころとして、法に帰依し、他に頼ることをしないものがこの教団の中での最高所に在る者です。」
なおも遊行を続けた仏陀(釈尊・釈迦)は、最後の力をふりしぼってクシナガラに向かうのです。
クシナガラに至って、沙羅の双樹のあいだに床を敷いてくれるようアーナンダに命じました。
周囲に集まる弟子たちになお、われに問いを発するものはいないかとたずねかけるのです。
弟子たちはただ黙していました。
やがでアーナンダが言いました。
「私たちの仲間には、教法についても、僧伽についても、或いは実践についてもすこしの疑問ももつものは居ないと信じます。」
仏陀(釈尊・釈迦)は静かにうなずいて最後の言葉を残されるのでした。
「この世のことはすべてうつろうものです。
みな、放逸なることなく、精進するように。
これが私の最後のことばです。」
そしてじっと眼を閉じられました。
それはまさに寂滅でした。
そして涅槃と称するにふさわしいものでした。
クシナガラへはインドの首都ニューデリーから寝台列車で14時間かけてゴラクプールという駅に到着すると、そこから東へ55kmの道程をローカルバスで揺られること1時間半かかります。
また、カシアーという町の3km手前に位置しています。