仏陀の教え-仏陀最後の旅-転悪成善

転悪成善

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転悪成善(悪を転じて善と成す)

「転悪成善(悪を転じて善と成す)初めて他者への憎悪や責める心から解放される」


霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。

仏陀(ブッダ)は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていました。

こからはマッラ国に入られたことになります。

当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていました。
持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダです。

以前、仏陀(ブッダ)が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な信者です。
チュンダは、仏陀(ブッダ)を歓迎するために、貧しいながらもできるだけの準備をととのえ、首を長くして待っていました。

仏陀(ブッダ)は、チュンダが用意してくれた食事を、快く受け入れましました。
しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけないものだと分かりましました。

ここで、仏陀(ブッダ)は、チュンダにこう告げます。

チュンダよ、残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。

神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また、神々・人間を含む生き物の間でも、世の中で修行完成者(=仏陀(ブッダ))のほかでは、それを食して完全に消化し得る人は見出せませんと。

「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊師に答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近づいた。

近づいて尊師に敬礼し、一方に座しました。
チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・諭し・励まし・喜ばせて、出て行かれましました。


仏陀(ブッダ)は、この町の鍛冶工の子チュンダより食事の供養を受けたが、これが最後の食事となりましました。

スーカラ・マッダヴァというものを食べてから、仏陀(ブッダ)は赤痢のような病にかかられ、激しい苦痛におそわれましました。

ですが、苦痛をしのんで、なおも旅をつづけられます。


仏陀は下痢をしながらも言います。

「クシナガラへ行こう」

パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道のりです。

パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッター川のほとりにさしかかった時、仏陀(ブッダ)は、ついに耐え切れなくなります。

クシナガラへの途中、仏陀は疲れ一本の木の根もとに座りましました。

そして、アーナンダに水が飲みたいと告げましました。

アーナンダは、近くの河は、今しがた多くの車が通ったので、水が濁っており、もうすこし先のカクッタ-河までいけば澄んだ冷たい水があると答えるが、仏陀(ブッダ)は、3度、水が飲みたいと告げましました。

しかたなく、アーナンダが近くの河に赴くと、水は澄んで透明で濁らずに流れていました。

アーナンダは仏陀の大神通・大偉力に驚きましました。


仏陀が水を飲んでいるとき、アーラーラ・カーラーマ(かつて仏陀が覚りを開く前、アーラーラ・カーラーマを師として、苦行、難行を行ったが、覚りを開くことができなかった)の弟子であるブックサがクシナガラからパーヴァーに向かって歩いて来て、仏陀に出逢いました。

ブックサは、仏陀の心静かな姿に感銘を受け、話かけましました。

仏陀の心静かな境地を聞くにおよび、ブックサは仏陀への帰依、修業僧への帰依を誓い、在俗信者として受け入れられましました。

プックサは金色の衣を仏陀に授けましました。

ブックサが去ってまもなく、仏陀はアーナンダに告げましました。
今夜遅くに、クシナガラのウバヴァッタナにあるマッラ族の沙羅(サーラ)林の中の、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間で、自分は完全な死に至ると。


仏陀(ブッダ)は悲嘆・涕泣するアーナンダに慈愛に満ちたことばをかけられ、また滅後の記念すべき四大聖地、葬儀の方法、塔供養などについて説かれましました。



仏陀は全く疲れ切った姿でよこになり、またもアーナンダに告げましました。

「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。
その供養はひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた功徳があります。

一つはスジャータの供養の食物でそれによって私は無上の悟りを達成しました。
そしてこの度のチュンダの供養です。
この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
チュンダは善き行いを積んだ。」


最初のスジャータの供養とは、仏陀(ブッダ)が「悟り」を開かれる前、極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟りへの益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のスジャータから乳粥の供養を受けられましました。

それによって体力を回復し、菩提樹の下に座り、「悟りを開くまではこの座を決してはなれない」という決意でもって坐禅瞑想に入られましました。

そしてこの上ない悟りを開かれたと伝えられています。

スジャータの供養は悟りに至る尊い縁になったのです。

そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびのチュンダの供養は大いなる涅槃に至る尊い縁となると仏陀(ブッダ)はチュンダの食物の供養を讃えています。

鍛冶工の子チュンダが、もし自分の差し出した供養の食物を食べて仏陀が亡くなったと後悔するようなことがあったら、そうではないと。

チュンダの行った供養は利益があり、大いに功徳があると、仏陀から直接聞きうかがったと伝えなさい。

何故なら、この供養の食物を食べて、仏陀は無上の完全な「悟り」を達成し、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入ったのであると。


そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびのチュンダの供養は大いなる涅槃に至る尊い縁となると仏陀(ブッダ)はチュンダの食物の供養を讃えています。

チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さなかったようです。

しかしチュンダは自分のせいで仏陀(ブッダ)を死に至らしめたという後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュンダを責めるであろうと仏陀(ブッダ)は思われ、チュンダの嘆きに寄り添って、

「チュンダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。
チュンダの供養で私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入ることになった。
チュンダは善いことをした」

とチュンダの供養をほめ、起こるであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り除かれたのです。

ここに仏陀(ブッダ)の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われます。

仏教で言われる慈悲の行いとは具体的にどういうものなのかがよく示されています。

しかも仏陀(ブッダ)のチュンダへの言葉は無理にチュンダを慰めているというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」と見られてのものなのです。

ご自分の死んでいくことに対して、不幸ともいわず、嘆きもせず、静かに受け止められるばかりではなく、煩悩が全く消滅する大涅槃に入る尊い縁として見ておられるのです。

このような背景があってチュンダの供養を讃えておられるのであって無理にチュンダを慰めているのではないと思います。

このことによって教えられることは、自分にふりかかるどのような〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善き縁であると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や責める心から解放されると説いているのだと思います。

転悪成善

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